ほほえみながらいった。
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  主人の心

        一

 新子は、思いがけない言葉に、ふと相手の心の底をのぞいたような気がして、合槌《あいづち》にこまって、だまって相手を見ていると、準之助氏はつづけて、
「僕も、妻がいない時の方が、かえって気楽ですよ。」と、何気なくいった。
 聴いてはならない言葉である。
「まあ! そんなことございませんでしょう。」というよりほかなかった。
「いいや、男女が二人して作る生活に、幸福なんて滅多にないのじゃありませんか。夫婦生活も、楽しいのは最初のうちだけで、お互に生地《きじ》を出しはじめると、月並な文句ですが、墓場ですな。」
 新子は、主人の思い切った言葉に、あわてながら、
「そんなものですかしら!」と、辛うじて答えた。
 準之助氏は、いい過ぎたと思ったらしく、
「ああ、悪いことをいいましたね。僕は……独身の貴女《あなた》を前にして、……しかし、夫婦生活なんて、両方であきらめるか妻か夫かの一方があきらめるか、どちらかのものですよ。僕の家なんか、僕が早くからあきらめていますから、十五年にもなりますが、けが[#「けが」に傍点]もなく過
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