のうちに新子は、すっかりこの生活に落着いてはれやかになった。ただ、夫人が東京から来る時が近づいて来るのが、不安だった。
 三日目の晩、美沢に手紙を書いた。

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どうか安心して下さいませ。
こちらの生活は、とても楽しゅうございます。健康で、ご飯までがおいしく頂けます。
それに、このお手紙を書いている私の部屋のよい匂い、高原の草の香りが、しみ込んでいて、どんなよい床まき香水もこの匂いには敵わないでしょう。
前川氏は、万事外国好みですの。だから、私なども、一個の貴婦人《レディ》として、とても大事にして下さいますの。
洋書も和書も、沢山ございますわ。別荘に、これだけの書庫を持っている実業家なんて、ほかには滅多にないと思いますわ。
旦那さまと、お子さまだけをこちらへよこして、奥さまは、まだ東京にいらっしゃいますの。奥さまのご交際の都合だとのことですの。
私は、ほんとうに気が晴れやかですわ。
東京で姉や妹の生活を見て、ジリジリしているより、どんなにいいか分りませんわ。
お子さまに、一日三時間お相手をすれば、後は私の時間ですの。私の時間には、絶えず貴君《あなた》のことを思いだし
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