ランブランさせながら、悄気《しょげ》かえって、父をむかえた。
「パパ!」
「何だい。」
「南條先生泣いているよ。泣いちゃったよ。」
「先生どこに居る?」
「お部屋にいる。僕、先生のお部屋をのぞきに行ったら、お机のところにこうしているの、きっと泣いているんだよ。ママこわいから厭さ。」
「お前が、余計なことを云うからいけないんだよ。」
「だってさ、南條先生、東京へ帰ってしまうだろう。そしたら、僕はかまわないけれど、祥子が困るでしょう。」分別のある大人のような口調だった。

        二

 新子は、部屋に帰ると、一しきり口惜《くや》し涙にむせんでいたが、それが乾く頃には夫人に対してあまりに思い切った態度を取ったのを、後悔していた。
 夫人との間には、何の貸借《かしかり》もないが、準之助氏に対しては、そうは行かなかった。姉のために、あんな大金を借りたばかりである。相手が、どんな好意で貸してくれたにしろ、自分は月給の中から、いくらかずつでも払おうと思っているのに、ここで夫人と争って出てしまえば、あまりに義理が悪すぎる。この家へはいる時、路子さんからも、特別に注意されていたのに、もっと隠忍
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