夫人の部屋の扉《ドア》を、ノックすると、
「どうぞ!」と、いう馬鹿丁寧な返事に、新子は針の山へ入る思いで、部屋にはいった。
招じられたぜいたくな椅子にも、剣が植えてあるような思いである。
夫人は、かるく一つ咳をしてから、
「後でもいいんですけれど、私いいたいことをためておくの、いやな性分ですから、すぐ来ていただいたんですの。私が教えた仕度という字、違っておりますの?」と、単刀直入であった。
「………」
新子は、夫人の勢いを避けて、だまっていると、
「ああ書きますと、誰にも通じませんかしら……」
「いいえ、通じますわ。」
「そうでしょう。通じれば、それでいいじゃありませんか。」
「はあ。」
「言葉というものは、通用するということが、第一じゃありませんの。貴女は、英語の方は、お精《くわ》しいそうだからご存じでしょうが、保護者《パトロン》という字だって、本当に発音すれば、ペイトロンか、ペトロンでしょう。」いかにも、外国に行ったことのあるらしい、しゃれた発音であった。
「はあ。」
「でも、パトロンはパトロンでいいじゃありませんか。もう、それは日本語なんですもの。それを知ったかぶりで直
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