ひどく気の毒らしく、
「奥さまが、お食事は家族だけでなさりたいとのことで、今晩から貴女《あなた》は別に差しあげることになりました。」といいに来た。
(その方が、いい。その方が気楽だわ)と、思いながらも、新子はひどく淋しかった。

 家族達ばかりの食堂で、新子の姿が見えないのに、料理がどんどん運ばれるので、祥子が一番に心配して、
「南條先生は? 南條先生はどうしたの?」と、女中に二、三度訊いていたが夫人は相手にしなかった。準之助氏が、不審を起して、夫人に、
「どうしたの。南條さんは。」と、訊いた。
「今日から、別室で召し上って頂くことにしましたの。」
「なぜさ、こちらでは、一しょでもいいじゃないか、その方が賑やかで……」
「でも、家族と雇人とは、ハッキリ区別した方が、よろしいようですわ。」
「うん。そうか。」と、準之助氏は、素直にうなずきながら、
「しかし、今日は貴女が初めて来た晩だし、懇親の意味で、ここで一しょに食事をして頂いた方がよかったねえ。」と云うと、夫人はやさしく、しかし同時に嘲《あざけ》るような表情で、夫君の言葉を聴いていたが、ニコニコしながら、良人《おっと》には答えず、子供の方に向いて、
「ねえ、貴君《あなた》達だって、パパとママと四人ぎりの方がいいわねえ。ほかの人がいたら、窮屈でしょう。ねえ。」といった。小太郎と祥子とは、びっくりしたように、母の顔を見上げたが、ママの顔が、その優しい言葉に引きかえて、厳しいので、
「うん。」と、いってしまった。

        二

 あまりにも、部屋の有様が異なってしまって、新子は落着けなかったし、物悲しさがなかなか薄らがず、美沢に手紙を書いて、この間の手紙を早速取り消したいと思いながらも、それも何となくものうかった。
 十時過ぎ、風が出て、庭の樹立に、ゴウとすさまじい音を立てた。
 前庭に、突如自動車の警笛《サイレン》の音が聞える。不意のお客だろうか、階下が何かざわざわしている。そう思っていると三十分ばかりしてその自動車は帰り去った。
 間もなく、階下はしずかになったが、その静けさの中に、ほのかに氷を砕くらしい音が伝わって来る。新子は「おや!」と思いながら、耳をすました。
 ここの部屋からは、窓を明けると、闇に面するばかりで、何もうかがえなかったけれど、常の夜とは異なって、母屋の方が薄ら明るかった。
 新子が廊下に出ると、階段の口が、パッと明るかった。新子は、まだ寝衣《ねまき》にも着更えていなかったので、そのまま女中部屋の方へ降りて行った。
 すると、氷嚢《ひょうのう》を持った女中に、パッタリ出会った。
「どなたかお悪いの?」
「はア、お嬢さまが――」
「まあ、祥子さまが……どこがお悪いの?」
「お風邪を召したんでしょうが、お熱が三十九度もおありになるんですの。ご夕飯がすむと、急にお熱が出て、今お医者さまがいらしったんですの。」と、女中も不安そうだった。新子は、さっき、祥子が夕立にぬれていく度もくしゃみをしていたのを思い出した。
「そうお。私、お見舞いに伺いたいんですけれど、伺ったらいけないでしょうかしら。」と、夫人に対する気兼で、おそるおそる訊ねた。
「およろしいでしょう。お嬢さまは、よくお熱をお出しになるので、奥さまはいつもの熱だとおっしゃって、もうお居間へお引取りになったようですよ。」と、女中は新子の気を察したように云った。
 女中の後から、随《つ》いて行ってみると、祥子は、小さい寝台の上にグッタリとなっていた。
 なるほど、夫人の姿は見えず準之助氏だけが、病児の顔をじっと見詰めながら、枕元の椅子に腰をかけていた。
「お風邪でございますか……」と、静かに新子が訊ねたのに対し、父が答えない先に、祥子がうるんだ眼を開けて、
「先生、祥子胸がくるしいの。さすって頂だい!」と、すぐ甘えかかった。
「ええ。どこが。」
「ここんとこ……」と、さも悩ましげに、掛ぶとんをおしのけて、左の胸を指した。
 新子は、そこへかるく手をやりながら、
「さっき、雨におぬれになったのがいけないのでしょうか。」と、準之助氏にいうと、準之助氏は新子の方をチラと、意味ありげに見て、
「原因は論じないことにしましょう。でないと、とんだ責任問題が起りますからね。」と、苦笑しながら、小声でいった。新子が、夫人を憚《はばか》る以上に良人はその妻を憚っているのだった。

        三

 準之助氏の言葉に、新子も肩をすくめながら、病児がともすれば熱のために、払いのけようとする蒲団を、そっと小さい胸の上にかけて、その下に手をさし入れて、
「こうして、さすって上げましょうね。」と、柔軟な小さい肉体をさすり始めた。
 祥子は、ウトウトし始めた。新子は、火のかたまりのように、ほてっている身体に驚きながら、こんなとき
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