みと手足をのばし、眠れた朝の、頭の明らかさで、ひどくわが家が、しんみりと楽しい場所に思われた。
 静かに頭をめぐらすと、淡いピンク色のシュミーズ一つで、朱塗りの鏡台を光線の都合を計って、畳の真中に持ち出して、化粧をしている美和子の姿が、ピチピチした新鮮な、一枚の油絵のように眺められた。
 パチパチ眩しそうに、愛らしく目ばたきしながら、姉の方をチラと見て、
「お姉さま、死んだ人のように眠ってたわよ。」と云った。
 美和子の手元から、甘い香料が強く匂って来た。
「美和ちゃん。急に綺麗になったわねえ。」新子は、驚きをそのまま、言葉に表して云った。
 一心に鏡の中を見入りながら、横顔で、満足そうな笑顔を見せて、
「みんながそう云うのよ。だから少し嬉しがってるの。」と云うのを、
「顔でうぬぼれるのはおよしなさいね。みっともないから……」と、云いながら、それを機会《しお》のように、身を起した新子はまたびっくりしてしまった。
 美和子の鏡台の前には、実にぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]な化粧品が美々しく並んでいるのだった。
「あーら、貴女《あなた》。こんないいものを使っているの。」
 新子自身、教養ある女性の趣味として、せめて化粧品だけは、筋の通ったよい匂いのするものを使いたいという慾望をやっと抑えているだけに、妹の使っている七円もするウビガンのケルク・フルールの小さいやさしい瓶に、非難の眸を向けずにはいられなかった。

        二

「圭子姉さまが、この間《あいだ》資生堂で、ドウランを買う時、一しょに買いなすったのよ。」
 美和子は、云いわけをしながら、小さい唇に、タンジーの紅《ルウジュ》をつけている。
「そのほかは、みんなマックス・ファクター専門なの?」
 妹を非難する新子の心も、鏡台の前の各々好もしい形をしたマックス・ファクターのクリームやローションや粉白粉《こなおしろい》の瓶の形の好もしさに緩和された。
 新子も、それを見ている内に、一瞬いそいそとした気特になり、そのまま美和子の立った後に坐って、コールド・クリームで顔を拭き始めた。
「ねえ、お化粧品だけは、いつでもこんなの使っていたいわ。ねえ。お姉さま。私、指輪だの時計だの帯どめなんか、ちっともほしくないの。」
「貴女、随分お洒落《しゃれ》になっちまったのね。」
「ええ。」
 あまりに、釈然とした返事だったので、思わずおかしくなって後《うしろ》をふり向くと、ついぞ見馴れない、洋服をすっぽりと頭から被っていた。
 ギンガムか、トブラルコか、何かしら木綿のゴワゴワと音のしそうなものだったが、そのくせ着てしまうと、どんな絹物《シルク》でも、この味は出まいと思われるほど、ピッタリと、はち切れそうな身体の線に合って、それがむき出しの肩と、胸についているシイクな桃色のレースの飾りに調和し、小さい美和子の身体がとても色っぽく見えるのであった。
「いつこさえたの、お手製じゃないわね。」
「相原さんの作る銀座のクロバーよ。」
「あんなところじゃ、木綿ものだって、シルクと同じくらい、仕立代がかかるんでしょう。」
「布地《きれじ》は、全部で三円五十銭しかしないのよ。仕立代は、相原さんの方の、つけにしておいてもらったの。」
「そんなことしたら、悪いじゃないの。仕立代いくらくらいなの。」
「十円くらいでしょう。……ねえ、似合うわね、シルヴィア・シドニイみたいじゃない?……」
「何を、そうお調子に乗って、浮々しているの。貴女少しおかしいわねえ。」
「ふうん。」と、ちょっと恥かしそうな、含み笑いをしながら、
「だってえ。この頃とても、楽しいんだもの。今日は、そら日曜でしょう。日曜は坂を上ることに決めたのよ。」
「何を云ってるのか、お姉さんにはちっとも分らないわ。」
「お姉さまなんか、軽井沢へ行って、先生なんかしているからいけないのよ。日曜日には坂の上にある家を訪ねることになっているのよ。まだ解んないのかなア。」
 これは、靴下を穿きながら、うつ向いて、小さくいった言葉であった。が、にわかに改まって、
「お姉さまは、もう軽井沢へいらっしゃらないの。」と、訊いた。

        三

「もう行かないわ。九月になったら、会社か雑誌社のようなところに、就職を頼んでみるつもりよ。」
「お姉さまが、もうずーと、家にいらっしゃるんだったら、私お願い……って、話があるんだけれど……今日じゃなくってもいいのよ。」
「貴女さえ、いそいで出かけないんなら、今日だって、いいことよ。何よ。」新子は美和子が恋をしているのだと直感した。
 ちょっと会わない間に、まるで新しい生命を吹き込まれたように、美和子は生々としていた。以前から、快活でお転婆ではあるけれど、つい一月前の美和子には無かったような、抱きしめてやりたいような、女らし
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