この手紙も、昼を過ぎた暑い部屋でよんでいた。面と向って話していると、センチメンタルなところは少しも感ぜられない新子ではあるが、手紙となると、お互に別れて半月以上にもなるせいか、ひどく熱情的になったような気がした。
 そして、新子の心はいつも、自分の身辺にまつわっていてくれるような気がして、心強い感激を感じるのであった。
 やはり、新子は自分を愛していてくれるのだ。ただ、現代の女性が、多くそうであるように、愛情と結婚とを性急に、むすびつけようとしないだけなのだと思った。
 彼は、新子の手紙を二度くり返して読んだ。そして、四、五日の内に、一度軽井沢へ行ってみようと思い出した。
 前川氏は、物分りのよさそうな人だから、新子を訪ねて行ってもおかしくないだろうし、初めての軽井沢を、新子に案内してもらって歩いたら、どんなに楽しいだろうと思ったりした。
 そんなことを考えていると、つい新子と相対坐しているような楽しい気持になった途端、彼はマザマザと新子の肉声を、耳にしたような気がした。
「ご免下さい!」
 二度目に、ハッキリと下から聞えた声は、ソックリ新子の声だった。(急に軽井沢から帰って来たのかな)そう思って、胸をとどろかして、階段の口まで出た。
「ご免下さいまし!」
 いよいよ新子のような声が、玄関から、あきらかに、ひびき上って来た。

        二

 思いがけない――全く思いがけなく、それは美和子だった。
 新子ならば、――彼は瞬間新子が来たと感じてしまったので――物をも云わず手を取って、二階へ抱き上げてしまおうと思い、激しい情熱が顔一杯に露出《むきだし》になっていたので、――意外にも洋装の美和子の姿が、ヒョッコリ三和土《たたき》の上に微笑むと、彼は表情のやり場に困って、顔や心を冷静に引きもどすために、しばし黙っているよりほかに、方法がなかった。
「何を、びっくりしていらっしゃるの?」美和子も、てれくさそうに、しかし、すぐと散る花片《はなびら》のように、表情を崩しながら、彼を見上げた。
「お上り! 一人?」彼は、まだ妹の背後から、玄関へはいる新子を想像していた。
「上ってもいいの?」
「だって、遊びに来たんでしょう。」ようよういつもの自分に返ることが出来た。
「小母さまは?」
「今、ちょっと用達《ようたし》に出かけている。」彼は、そういうと、先へ大急ぎで、二階へ上ると、新子からの手紙を机の抽出《ひきだ》しにかくした。
 後から静かに上って来た美和子も、いきなり男の部屋を訪ねて来た恥かしさに、落着けないらしく、
「大きいお姉さまが、二十五日からお芝居をしているのよ。私初日に見たけれども、割と評判がいいからもう一度見たいの。でも、一人で見るのもつまらないから、美沢さんでも誘おうと思って来たのよ。坂を上ると、とても暑いわねえ。」と、クルリと美沢に背を向けた。そしてコンパクトを出して、顔を直し始めた。
 ボイルの洋服が、汗でジットリと背について、白い首筋と黒い断髪と、全体がなにか親しい、生々《なまなま》しい感じであった。
 美沢は、妹にしてやるように、団扇《うちわ》でその背をハタハタと煽いでやりながら、
「姉妹《きょうだい》って、どこか似ているもんだなあ! 貴女《あなた》と新子姉さんとは、顔立ちはまるで違うから、面と向って話していたんじゃ、ちっとも気づかなかったけれど、声だけ聞くとまるで同じだ……」
「そうお、そんなに似ている?」
「似てるよ。さっき、姉さんかと思ってびっくりしたよ。それに美和ちゃんらしくもなく気取っていたからさ……」
「だって、貴君《あなた》の家へ来るの初めてだし、小母さんいるんだし、少し気取っていったのよ。」
 子供らしく、艶《なま》めかしくいいながら、
「ありがと。もういいの。」と、美沢の手から団扇を取り上げると、ストンと脚を投げ出し、横坐《よこずわり》に坐った。

        三

「お姉さんの芝居、なかなか好評だね。」と、美沢がいった。
「貴君も見たの。」
「ああ、一昨日《おととい》。」
「なあんだ! じゃ、あれ見に行かなくってもいいわ。ズー・イン・ブダペストって、活動見に行かない?」
 ハッキリした二重瞼の大きい瞳を、浮気っぽく動かしながら、甘えかかった物いいをした。
 暑い陽が、カッと部屋の中に射し込んだので、美沢は立って、簾《すだれ》をおろした。
 立ったついでに、階下《した》へ行ってお茶を持って来るつもりで、美和子の背後《うしろ》を通ろうとすると、
「ねえ、どこへ行くの?」と、美しい滴《しずく》のような眼が、彼を見上げた。
「お客様には、お茶というものがいるからさ。」
「厭《い》やン。いやだわ。初めて来たお部屋に、一人になるの嫌い。ここにいて、ねえ! お茶なんか飲みたくないわよ。お婆さんじゃ
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