二階へ行こうとする。
「女世帯で、こんなに遅くなったりすると、外聞が悪いったらありませんよ。圭子!」
「もう、分ったわ。お叱言《こごと》は、あした伺うわ。とても、疲れているの。早く寝ないと明日がたいへんだわ。」と、せいぜいわがまま一杯なことをつぶやいて、早くも階段を上り切ってしまった。
 その翌日、十一時近くまで、寝ていて、食事に階下《した》へ降りて来ると、いきなり、
「お母さん、お願いがあるのよ。」と、思い入った風情でいい出した。
「何……?」圭子が改まって、やさしい言葉を使うときは、お金の入用《いりよう》に定《きま》っているので、母親はたちまち警戒して、こわい眼で娘をながめながら無愛想にいった。
「お金がいるのよ。それも沢山なの。私、学校をよしてもいいから、私の学資にとっておいたお金を、今一度に出してくれない!」
「まあ。お前何をいうんですか。だしぬけに……」
「だって、そのお金がないと、私死ぬほど辛いのですもの。」と涙声になっていった。
「いくらくらいなの一体?」と、母は総領娘には、やっぱり甘かった。
「五百円いるの。」
「五百円!」母はあきれて、マジマジと娘の顔を見つめるばかりだった。

        四

 金の無心とは察していたが、娘のいい出した金額が、あまりに計算はずれなので、母はぽかんとして驚いているばかりだった。
「ねえ、お母様。そのお金がないと、研究会の仕事が、駄目になってしまうのよ。ねえ、私《わたし》学校を出て就職するにしても、この頃は口なんか、てんでないのよ。だから、研究会の方で、一生懸命劇の方を勉強して、いっそ舞台に立とうと思っているの。」
「それじゃ、女優さんにでもなろうというの?」
「ええ。いいでしょう。その方が、結局早道だわ。学校を出たって、新子ちゃんのような口だって容易に見つからないことよ。それよりも思い切って……」娘のいうことは、いよいよ出でて母親にとって、意外のことばかりだった。
 新子が軽井沢へ行くとき「今ウカウカしていると、親子四人で飢えるようなことになることよ。だから、お姉さんが学校を出るまでは、月七十円以上貯金を下げてはいけない。私がお給金を手をつけずに送るから、月百円くらいで暮して下さい。お姉さんや美和子が何といっても、余計なお金は出さぬように。」と、くれぐれもいい置いて行ったから、五百円はおろか、五十円だって出して
前へ 次へ
全215ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング