はいけない。だから、金の相談は断るほかはないが、それと同時に女優になるといったような途方もない考えも、早く棄てさせなければ、亡き良人《おっと》に対して申し訳ないと、母は考えた。
「まあ! とんでもないことばかりいうのね。研究会なんか潰れてもいいじゃありませんか、潰れたらいい機会だから、学校の方を真面目に勉強して、卒業したら新子のように働いてくれなければ……。私達はどうなって行くのですか。」
「それが、お母さんの考え違いよ。学校を出るより、舞台の方を勉強した万が、どのくらい世の中へ出るチャンスがあるか分らないというのよ。」
「その女優になって世の中へ出るということが、お母さんは、嫌いなんですよ。」
「なにいってるの。お母さんは、分らず屋ね!」
「お前こそ分らず屋ですよ。五百円なんて、まとまったお金を出せば、明日から私達は飢えますよ。」
「家に、そのくらいな余裕がないなんて考えられないわ。」
「家の経済は新子がお前にもよく話したはずじゃないの。」
「新子ちゃんのは、あれは誇張よ。あの人は、ああいう風に考えて、自分が一家のために奮闘するといったような気持を味わいたいのよ。」
「まあ、お前は新子や私の気も知らずに……」
 母親が思いのほかに強硬なので、圭子はいらいらした。少くとも、今日百円や百五十円は持って行かなければ、自分をアテにし切っている小池に合わす顔がない。楽屋入りは三時である。などと思うと、欲しい玩具《おもちゃ》を買ってもらえない子供のようにかりん[#「かりん」に傍点]の茶卓の上に、ほろりと涙を落してはそれを指の先で潰していた。
「そんな無理難題をいってお母さんをいじめるもんではありませんよ。お前いくつだと思っているの!」そういって、母は台所の方へ立ってしまった。

        五

 書留など、どこから来たのだろうと、圭子が不思議に思いながら玄関へ出てみると、それは新子からの手紙だった。
「判がいるんですね。ちょっと、待ってね。」と、立ちもどって来て、茶箪笥の上に、針箱と同居している用箪笥の小引出しから、判箱を出して、書留用紙に判を押して返した。
 圭子が茶の間に、帰っても流し元で、シャアシャアと水の音がするばかりで、母は戻っていなかった。
 新子からの手紙は、もちろん母の宛名、お給金を送って来るには時期が早すぎるのに書留とは、と思いながら、母より先に見たっ
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