に、艶めかしい夫人の言葉に、青年は善良そうに、顔を染めて、苦笑しながら、首を振った。
「なら、私が恐いの?」
姉か何かのような上手《うわて》の位置から、青年が顔を染めるのを、楽しい観物《みもの》ででもあるかのように、見おろしながら、しかも同時に媚を呈しながら、夫人が云った。
青年は、ほのかに首を振って、
「どちらも、恐いわけではありませんが……」
「ねえ。一しょに行ってみない。佐竹の伯母さんとこへ訊ねて行くといえばいいでしょう。私、ここもいいけれど、観《み》るものも聞くものもないから退屈するのよ。前川と話しすることなんか何にもないし……」
夫人は、いつも高慢な態度を持しているが、しかしこういう若い男性に微笑を見せるということだけは、また別なことであるらしかった。
夫人としては、自分の媚態《びたい》が、男性にどんな影響を及ぼしそのために男性の眼に、どんな熱情が浮び、どんな不安が浮び、どんな哀願が浮ぶかを見ることが、楽しい刺戟であるらしかった。
しかし、この青年は、夫人のそういう態度には、免疫になっているらしく、一も二もなく、支配されているわけではなかった。
「そろそろお帰りになりませんか。」と、煙草を捨てて立ち上った。
「ほほ、もう帰るの? じゃ、私達は食前の運動に来たと云うだけだわ。」夫人は、さも可笑《おか》しそうに笑いながら、ボーイをよんで勘定をすませると、ツカツカと階段を走り下りた。
ホテルを出たところで、
「貴君《あなた》は私の家に居るの窮屈?」
「なぜ? 決してそんなことありませんよ。」
「じゃ、長くいらっしゃい! そして、私の相手をして頂戴! 前川だけじゃつまんないわ。」
「僕だって、あまり面白い人間じゃないことをご存じじゃありませんか。東京じゃ、子供扱いで、まるで相手にもして下さらないじゃありませんか。」
「ほほほほほほ。じゃ軽井沢だけの男友達《アミイ》でいいじゃないこと、ほほほほほ。」
夫人は、その美しい長身をくねらせながら笑いこけた。
四
青年の顔は、一層あか[#「あか」に傍点]らんだ。が、しばらくしてから、思い切った風情で、
「いくら、親類でもあまり親しくしていると、つまらない誤解を受けますし……それに、貴女を好きになっちゃ、なおたいへんだし……」
「ほほほはほ。」青年の言葉が、おわり切らない内に、夫人はまたさも
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