花に、手をさし出すことで、巧みに夫人の手から離れた。
ホテルの喫茶は、二階の食堂の廊下に在った。そこから、このあたり一帯の異国情緒の風光が一望され、見晴しが美しいのである。
二人は、窓際に向い合って席に着いた。
近代的で、スポーツマン・タイプで、清秀で明るい感じのこの青年は、綾子夫人の母方の遠縁に当るという。夫人は、この青年を、彼女の「足下《あしもと》」にひざまずかせようという意図でもあるように夫人の片言微笑には、孔雀《くじゃく》が尾羽《おばね》を、一杯に広げたような勿体《もったい》ぶった風情があり、華やかな巧緻な媚《こび》に溢れていた。
青年は、常に無邪気そうな、しかし時々気むずかしそうな、名投手の球勢変化《チェンジ・オブ・ペース》を思わせるような抑揚のある態度で夫人に対しているのであった。
「ほんとうに、長くいて、私の遊び相手になってよ。でないと、私身体をもてあましてしまうのよ。主人とばかり顔を見合わせているのじゃ、息がつまりそうよ。」
「だって、祥子さんが、ご病気だというじゃありませんか。」
「いつもの風邪よ。あの子は、土地が変ると、きっと熱を出すのよ。ちっとも、心配することないわ。」
「見馴れない若い女の方が、付添っていらっしゃいましたね。」
「今度来た家庭教師よ。」
「勝気そうな、美しい人じゃありませんか。」
「おや、そんなことまで、いつ見たの。」
「チラと見たばかりですけれど。」
「ああいう人、私すかないの。ちょっと、乙にすましている女。だから、私思いきり、いろいろな用をさせようと思っているの。私は、一般に同性は、嫌いなのね。同性を見ていると、何だかいらいらして来る性分なんだわ。」
その美貌と才能とに、あまりに自信を持ちすぎる高慢な婦人の通弊だと思いながら、青年はだまって、夫人の顔を見つめていた。
三
青年はシガレット・ケースを開けると、夫人に勧めた。
「何?」
「キャメル……」
「ごめんなさい。私、これしか吸えないの。」と、いって夫人は、自分の赤革のケースから、スリー・キャッスルの細巻を出して、青年がライターをつけてくれるのを待った。
「私、三、四日のうちに、伊香保へ行ってみたいんだけれど、貴君も行ってみない。」
「さあ! 貴女と二人で……ですか。」
「逸郎さん。貴君、前川を恐《こわ》がっているようね。」
露《あら》わ
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