ほほえみながらいった。
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  主人の心

        一

 新子は、思いがけない言葉に、ふと相手の心の底をのぞいたような気がして、合槌《あいづち》にこまって、だまって相手を見ていると、準之助氏はつづけて、
「僕も、妻がいない時の方が、かえって気楽ですよ。」と、何気なくいった。
 聴いてはならない言葉である。
「まあ! そんなことございませんでしょう。」というよりほかなかった。
「いいや、男女が二人して作る生活に、幸福なんて滅多にないのじゃありませんか。夫婦生活も、楽しいのは最初のうちだけで、お互に生地《きじ》を出しはじめると、月並な文句ですが、墓場ですな。」
 新子は、主人の思い切った言葉に、あわてながら、
「そんなものですかしら!」と、辛うじて答えた。
 準之助氏は、いい過ぎたと思ったらしく、
「ああ、悪いことをいいましたね。僕は……独身の貴女《あなた》を前にして、……しかし、夫婦生活なんて、両方であきらめるか妻か夫かの一方があきらめるか、どちらかのものですよ。僕の家なんか、僕が早くからあきらめていますから、十五年にもなりますが、けが[#「けが」に傍点]もなく過ぎて来ているんです。いや、これはとんでもないことを申しました。さあ、どうぞその駒をおすすめ下さい!」新子は、ひどくのどかな気持でいたのに、準之助氏のこの思いがけない話題で、すっかり気持が乱れた。
 もう、子供のようにダイヤモンド・ゲームなど、やっていられる気持ではなかった。強いて駒を動かそうとしても、考えがまとまらなかった。
 折よく、目覚めた幼い兄妹が、歩調を合わせて、廊下を駈けて、この部屋へ走り込んで来てくれたので、新子はホッと救われた気持になった。
 祥子は、新子の肩にすがりながら、
「南條先生、ずるいわ。パパと二人ぎりで、お茶をめし上って、なぜサチ子を呼んで下さらないの?」と、わる気はないが、詰問だった。
「あら、ご免あそばせ。でも、祥子さんは、ほんとうに、よくお休みになっていたんですよ。お起しするのがわるいくらい。」
「そうお。ダイヤモンド・ゲーム、サチ子としましょう。」と、祥子がいうと、
「祥子がすんだら、僕とだよ。ねえ、先生!」と、小太郎は自分の順番を確保した。
 子供達と、ゲームを争いながらも、新子は準之助氏の言葉が、気になって仕方がなかった。
 そして、ふと準之助氏の
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