のうちに新子は、すっかりこの生活に落着いてはれやかになった。ただ、夫人が東京から来る時が近づいて来るのが、不安だった。
三日目の晩、美沢に手紙を書いた。
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どうか安心して下さいませ。
こちらの生活は、とても楽しゅうございます。健康で、ご飯までがおいしく頂けます。
それに、このお手紙を書いている私の部屋のよい匂い、高原の草の香りが、しみ込んでいて、どんなよい床まき香水もこの匂いには敵わないでしょう。
前川氏は、万事外国好みですの。だから、私なども、一個の貴婦人《レディ》として、とても大事にして下さいますの。
洋書も和書も、沢山ございますわ。別荘に、これだけの書庫を持っている実業家なんて、ほかには滅多にないと思いますわ。
旦那さまと、お子さまだけをこちらへよこして、奥さまは、まだ東京にいらっしゃいますの。奥さまのご交際の都合だとのことですの。
私は、ほんとうに気が晴れやかですわ。
東京で姉や妹の生活を見て、ジリジリしているより、どんなにいいか分りませんわ。
お子さまに、一日三時間お相手をすれば、後は私の時間ですの。私の時間には、絶えず貴君《あなた》のことを思いだしております。
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来てから四日目、お茶の時間に、小さい兄妹は、お昼寝をしていたため、新子と準之助氏とだけで、お茶をのんだ。お茶が済んでも、準之助氏が何だか所在なさそうなので、新子は何となく立ち去りかねていた。
「貴女は、ダイヤモンド・ゲームをおやりになりますか。」
「はあ。」
「じゃ、一つお相手しましょう。」
「どうぞ!」
準之助氏は、笑いながら、向うの玩具《おもちゃ》棚から、ダイヤモンド・ゲームを持って来た。
二人は、かなり身近く相対した。二人は、お互に子供らしく緊張しながら、駒をうごかしはじめた。新子は、英学塾の寄宿舎などで、お友達の誰とやっても、なかなか負けなかった。この遊び方のコツといったものを呑み込んでいた。
準之助氏は、手もなく負かされた。
二度目に駒を並べるとき、新子はいった。
「お母さまが、いらっしゃらなくっても、お子さまは、たいへん、大人《おとな》でいらっしゃいますね。」
「普段から馴れていますから、私の家では、(ママ! パパがお帰り)なんていうことはめったにありませんよ。大抵、(パパ! ママがお帰り)というんですからな。」と、上品に
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