なれのした風が、窓から出した頬を吹きわたるのだった。
(いいわ。奥さまが、我慢できなければ、他に就職の途を見つけるとして)と、唇にしみじみ山の気を吸いこむと、どうやら彼女の気持は明るくなったような気がした。
軽井沢の駅には、小さい兄妹が、十六、七の女中につき添われて出迎えに来ていた。
青い草をもてあそんでいた小太郎が、いちはやく彼女を見つけると、草の茎で窓をポンポンと叩いた。
祥子《さちこ》は、
「先生、もっと、早い汽車でいらっしゃればいいのに、私とても待ちどおしかったのよ。」とおませな口を利きながら、すぐ新子の手にすがって来た。
やや憂鬱であった新子の車中の顔は、子供達の歓迎で、のどかなきよらかな笑いでかがやかしくなった。
「路子叔母さまは、いらっしゃらないんですの?」と、新子は、子供達に訊いた。
「路子さんは、房州よ。三谷の伯父さまのところよ。」と祥子が答えた。
(お母さまは?)と、訊きたかったが、両親のことは、何かにつけ訊かない方がいいと思ってよした。
待っていた自動車に乗った。
湿った街道に、うす日がさし、まるで砂ぼこりのような霧が、サッサッと舞い上っていた。
別荘は諏訪の森の近くであった。
表向きは、天然のひろやかな庭に二つの石柱が建っているばかりのように思えるのに、小径を辿《たど》って行くに従って、両側の白樺並木の、しだれた若い緑の繁みごしに、ヴィラの傾斜のなだらかな屋根と、カーテンの揺れている白い框《かまち》の窓が見え、繁みが切れると、玄関のポーチまで、一面の花園で、その真中を気持のよい芝生の小径《こみち》が通っている。
三
ポーチの脇に、兄妹の緑と赤との愛らしい自転車が置いてあった。
別荘は、しんとしていて、絶えずよい草の香りのする風が吹き、しきりなしに鳴く郭公《かっこう》の声が遠く近くきこえるばかりであった。
運転手が、新子の荷物を運び入れてくれると、奥から三十ばかりの女中頭らしいのが出て来て、
「いらっしゃいませ、どうぞ、お部屋をご案内したします。」と、どんどん先へ立って行こうとするので、
「あの、奥さまに、ご挨拶したいのですが……」というと、
「奥さまは、来週の水曜まで、東京にいらっしゃいますので……」
「まあ……じゃ、こちらは……」と訊くと、
「旦那さまと、お子さまだけでございます。旦那さまは、ただ今
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