と会いもしないくせに、分るもんですか。」
圭子は、姉妹の中で一番美しいかもしれなかった。とにかく、完璧な美人タイプに列し得られる。白粉《おしろい》気がなく、癖のない潤沢な黒髪を、無造作に束ねているので、たいへん清楚《せいそ》な感じがした。
「話って、それぎり?」新子は、もう一度|訊《き》いた。
姉は、ちょっと首を振って、
「ううん、これよ。」と、丸善のビルを新子に渡した。
洋書が五冊、新子は内訳は見なかったが、合計は二十三円五十銭だった。
「お母さまにいうと、また長講一席よ。貴女から、話してほしいの。」
新子は、しばらくの間だまってしまった。
姉妹の父は、長い間、台湾のさる製糖会社の技師をして、相当な高給を食《は》んでいた。退職したときにも、数万円の手当を貰った。しかし、生活ぶりが、華手《はで》だったので、一昨年|脳溢血《のういっけつ》で死んだときは、金はいくらも残っていなかった。そして華手な生活ぶりと、金の事を気にしないルーズな性格とだけが遺族の上に遺されていた。今年の初め、あわてて家賃の安い現在の家に引越して来たのであるが、働く者のない家庭は窮乏の淵へ一歩一歩ズリ落ちて行く外はなかった。
その上、姉妹の母が、生活に対しては、ひどく没常識であった。
三
父が死んだ後も、母は漫然として、何の新しい収入の当《あて》もないのに、家賃の高い麹町《こうじまち》の家に暮していた。姉の圭子は相不変《あいかわらず》女子大に通い、新子は津田英学塾に通っていた。
今年の初め、母が少し愚痴っぽくなったので、新子がおかしく思って、母に迫って家の経済状態を根掘り葉掘り問い質《ただ》してみると、父が勤めていた会社の株が五十ばかりのほかには、銀行預金が二千円とわずかしか残っていなかった。父の死後、そんなわずかな預金の中から、月々三百円に近い生活費を出していた母の出鱈目《でたらめ》さに驚いたが、今更どうすることも出来ず新子はあわてて、自分で学校を廃《や》めてしまい、母を勧めて、家賃の安いここ、四谷谷町の家へ越して来たのであるが、しかしそれは半年で駄目になる生命を、やっと一年に延ばしたというだけのことで、前途に横たわる生活の不安は、どう払いのけることも出来なかった。
しかし、それは新子だけの気持で、姉の圭子も妹の美和子も、家の生活の実際を知りもしなければ知ろう
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