ともせず、太平無事の日々を過していた。殊に、圭子は文学好きで、去年あたりから新劇研究会のメンバーになると、家の暮し向きなどはおかまいなしで、いつも損をする公演の手伝いなどに、うき身をやつしているのだった。
だから、新子が今年の初めから母を助けて家計を切り盛りし、月々|幾何《いくら》幾何と、定めておいても圭子も美和子も、ムダな浪費をする習慣がなかなか止まず、本好きの姉は、この頃|為替《かわせ》相場の関係でめっきり高くなった洋書を、買ったりするのである。
「二十三円五十銭、こまるわね。お母さまが、この頃愚痴っぽくなったのも、無理はないのよ。お姉さま、家に今お金いくらあると思っていらっしゃるの?」新子は、ビルを手にしながら、金銭というものの脅威が、しみじみ身に迫るのを覚えながらいった。
「おやおや、貴女まで愚痴っぽくなったのね。だって、これ二月《ふたつき》分よ、私もっと買いたい本があるのを辛抱しているんですもの。その代り、私着物なんか一枚だって買わないじゃないの?」もう、姉は少し中腹《ちゅうっぱら》らしかった。
初めての愛児として、両親の全盛時代に、甘やかされて育った姉は、生活ということに対しては、全然考えようともしないらしく、てんで話にならなかった。
こんな機会に、もっと真面目に、根本的に姉に話してみようかと新子が考え出したとき、階下から母親が高い声で、
「新子さん。ちょっと階下《した》へ来て下さいな。」と叫んだ。
「はい。」と、新子は返事をした。
一家中、何かにつけて、新子だった。いかなる場合でも、一番深く考えている者が苦労するように、母も姉も妹も、みんな新子に背負《おぶ》いかかっているのだった。
四
新子は、姉に自分達の生活について、何かいってやりたい気持を抑えて、階下へ降りてみると、上で気がつかない内にそこの玄関へ、父の存生《ぞんしょう》中から、出入りしている重松という日本橋の時計屋が来ていた。四、五年前までは、よく恰好な出物《でもの》があるといって、売り付けに来たのであるが、去年あたりからは、母が生活費のたしに、時々売り払う品物を買いに来るようになっていた。
茶道具のわきに、新子の見馴れない金《きん》の大きい指輪が、二つ置いてあった。
母は子供のように秘密主義で、子供にまでかくして、色んなものを持っていたのだが、この指輪も、母が
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