んには、随分お世話になっておりますの。九月の公演にも、切符を沢山引き受けて頂きましたの……」
姉を、そんなに後援するのは、妹と何かある! 夫人の心には、もう嫉妬の焔《ほのお》が、えんえんと燃えながらも、言葉だけは、いよいよ丁寧に、
「そうですか。それは、ちっとも知りませんでした。私も、劇の方は、嫌いじゃないのですの。前川から、何も話がありませんでしたから、ちっとも存じませんでしたの。でも、劇のお話でしたら、私も、出来るだけのことを、致しますわ。今、主人は、いませんけれどいらっしゃいませんか。」
姉を引き寄せて、目ざす妹の消息を知ろうという夫人は、にわかに友達のような親しい物云いをした。
三
学問はあっても、人の好い圭子は、たちまち嬉しそうに、
「ありがとうございます。明日でも、ご都合がよければ、伺わせて頂きますわ。」と、云うのを、
「これから、すぐでもいいわ。その代り、すぐいらっしゃいませね。」と、夫人はさり気なく誘った。
「でも、夜分でございますから……」
「こっちは、少しも構いませんわ。どうぞ……その代り、なるべく三十分以内にね。」
「じゃ、うかがわせて、頂きますわ。」と、電話は切れた。側《そば》に、おずおずと立っている女中へ、
「もう、会社の方へ、電話しなくてもいいわよ。」と、云った。女中は、まだオドオドしながら、
「一度かけましたんですけれど、お話し中でお待ちしている内に、今の方から、お電話がございましたので……」と、相すまなそうな女中の云い訳を、背中で聴き流しながら、二階の部屋へ帰って来ると、綾子夫人は、もう一度鏡の前に、苦っぽい笑いを浮べて、腰をかけた。
もう、四、五年前から、夫婦らしいことは、年にいく度もないという前川である。それだけに、外に女を作るような良人ではないと、夫人は信じていた。もちろん、夫婦生活は不満であった。夫人は、前川氏を意地悪く、真綿で首を締《し》めるような苛《いじ》め方をして、つまり精神的にサジズムによって、その不満を癒《いや》しているような傾向があった。
南條新子に対して、前川が何となく、好もしい感情を持っているらしかったから、事にかこつけて、暇を出した。二人の間は、それぎりだと思っていたのに、思いがけなく、新子の姉という女からの電話である。姉にまで余計な後援をしているとすれば、新子にはどんな後援をし
前へ
次へ
全215ページ中169ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング