ているか、知れたものではない。その上、気がついてみると、この頃前川の帰り方が、以前よりはずーっと遅くなっている。一昨夜も、自分が歌舞伎から帰ってみると、良人の容子に、自分より、ホンの一足|前《さき》に帰ったらしいところがあった。
(これは、とんだ大きな尻尾を掴んだかもしれない!)と、夫人は憤《いきどお》りとともに意地の悪い快感を覚えて、何も知らぬらしくあわてて飛んで来る新子の姉を待つ気になったのである。電話の容子では、与《くみ》しやすいと見て、少し調子を合わせながら、新子のことを洗いざらい、訊き質《ただ》してやろうと考えたのである。
四
新子の姉を待っているうちに、前川夫人は何か思いついたように、呼鈴《ベル》を押して女中を呼んだ。
「いまの電話の人、ちょいちょい来たことあるの?」と、やや優しく訊ねた。
「いつか一度、いらしったことがあるそうですが、私はお取次ぎいたしませんでした。九月中に、一、二度お電話がかかりましたことは、存じております。」女中は、まだ恟々《きょうきょう》としていた。
「そうお。」と、顎であちらへと示しただけでもう顧みず、また鏡に向ったまま、考え始めた。
女道楽の主人が、嫉妬ぶかい夫人を、操る手管を考えるように、夫人は、良人と新子と新子の姉との三人をどんなに扱うべきかを心ひそかに考えているのであった。
これは、前にもいったように、夫婦らしい愛情からの嫉妬というよりも、冷えた夫婦愛が内攻して起る病的なものであるだけに、性質が悪性で、相手を苛めぬいて、出来るだけ、嫌がらせて満足を得ようというのである。
良人が、自分をほんとうは、少しも愛していず、ただ上部《うわべ》の調子だけを合わしていることも、とっくに承知していた。だがそのために、今まで放蕩《ほうとう》したこともなく、長い物には巻かれろ主義で、ひたすら家庭平和を保持している良人が、物足りない以上に、憎らしくさえ思っている。こんないい機会に、良人を取っちめて、ご都合主義の仮面をとりはずしてやりたいという肚《はら》もあった。
つい、目と鼻の四谷からであるから、二十分とは経たない内に、圭子は前川邸を訪れて来た。
応接室に通されて、腰をかける暇《いとま》もなく、上機嫌の夫人に迎えられて、初対面の圭子はすっかりうれしくなっていた。
「どうぞお楽に。私一人でしたけれど、新子さん
前へ
次へ
全215ページ中170ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング