それでも急いで母の後を追った。
(なるほど、これは相当なものだ!)と、新子は思った。もう自分を雇ってくれることが定っていながら、二、三日の内に通知するなどいうのは、何事にも勿体ぶろうという夫人の趣味であろう、と新子は見てとった。
 それから、新子を晩餐《ばんさん》に招じておいて、それを路子や良人への目つぶしにして、スラリと外出してしまうなど、心得たものであると思うと、新子は、これは、路子のいった通り、生やさしいご主人でないと思った。
 自分に会うために、着物を著換《きか》えたのだろうと思ったことなど、たいへんなうぬぼれだった。
 それに第一、日曜の晩に、良人と子供とを放りぱなしにして、外出する! 普通の奥さまには、とても出来そうもない芸当を、アッサリと、威厳と自信とに充ち、優美な態度を崩さずに敢行する、それは新子にとっては、一つの驚異だった。
 だが、それを見送って、のどやかに眉一つ動かさずにいる準之助氏の態度も、落着いたものだった。(こんなことに馴れ切っているのかしら、それとも止《や》むを得ぬ外出先なのだろうかしら)などと、新子は去った夫人と残っているご良人《りょうじん》とのことを等分に考えていた。
 そのとき、食事を知らすらしい支那風の銅鑼《どら》が鳴りひびいた。
「じゃ、路子、南條さんを食堂へ案内してあげなさい。」と、準之助氏が面《おもて》を吹いて寒からず楊柳の風といったような、おだやかな声でいった。
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  姉の愛人




        一

 家を一足出ると、ストッキングに開いている穴のことなどはすっかり忘れて、美和子がうきうき[#「うきうき」に傍点]と、訪ねて行った先は、四谷からはさほど遠くない原宿であった。
 その昔、下町の華族女学校といわれたほど、校風も生徒も華手《はで》である美和子の女学校は、お友達もみな相当の、お金持の家の娘ばかりであった。
 美和子の親友相原珠子の家も、日本橋の大きな海産物問屋で、原宿の住居も新築のすばらしい邸宅である。
 日本間にすれば、三、四十畳も敷けそうなサロンに、この天気の悪いのにお客が十人近く集まっていた。ほとんどクラス・メートばかりなので美和子は、はればれと、
「今日《こんち》ア。」と、おどけて、珠子のいるソファにトンと腰をおろした。
「美坊《みいぼう》、おそいんだもの。心配したよ。どうしたのさア。
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