一つの窓を開けて外を見ながら立っている準之助氏は、
「やあ! よく降る!」と、盛んな自然の大暴れに、嗟嘆《さたん》の声をあげていた。
家の中は、不気味に薄ぐらかった。椅子も卓子《テーブル》もなく、ただ粗末な食堂用らしい曲木《まげき》細工の椅子が、ただ一つ塵にまみれて、棄て置かれてあった。
この薄闇は、普通の夜の暗さなどよりも、ずっと気持がわるかった。そこここの隅々から、奇怪な幻像でもがうごき出しそうな気味わるさを持っていた。
ある恐怖と圧迫を感じて、新子は扉《ドア》口ではいりわずらっていた。
その上、ときどき窓からサッと流れ入る電光の紫線は、いよいよ部屋を物すごく見せた。
新子が、そこに立ちわずらっているとき、電光の閃《ひらめき》とほとんど同時に、硝子《ガラス》板を千枚も重ねて、大きい鉄槌で叩き潰したような音がした。たしかに、近くへ落雷したのだと思うと、新子は心が一層寒くなった。
準之助氏も、扉《ドア》口に人形のように、息を呑んで、立ちすくんでいる新子を見ると、彼もまたある胸苦しさを感じているらしく、すぐには呼び入れようともしなかった。
「こわいわ!」だまっていると、息づまりそうなので、新子が勇気を出して、口を開いた。
「僕もいささかこわいですよ。中へおはいりなさい。一緒に居ましょう。」と、準之助氏は、窓ぎわから離れた。
二人は、両方から部屋の中央に歩み寄った。
一足先へ、この空家にはいった準之助氏の心には、新子に対するなまめいたある感じを抑えることが出来なかった。
嵐に包まれた家の中に、二人ぎりでいる。お互に、身近く立っていると、準之助氏は、さっき坂を下《おり》るとき、手を取ってやった新子の雨にぬれた生暖かい肌の感触が、ゾッとするほど、心の中に生き返って来た。
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家庭の嵐
一
夕立は、その始まり方の凄《すさま》じさ、速《すみや》かさと同じように、幕切れもアッケなく早かった。
雨は水沫《しぶき》だけのように、空一面に、細《こまか》く粉のように拡がった。風も、それに準じて、勢いを収めて、見る内に、山の頂きには青空が顔を出した。
雷の八つ当りは、もう大丈夫だろうかと検《ため》すように、森の中でかっこうがホルンを吹奏した。
天と地との間には、もう鬱積がなくなったように、快い風と光とが躍りはじめた。
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