きれながら、顔色を蒼白くさせて、きっと夫人の顔を見守った。
 この相容れざる二人の間には、ささいな問題から思いがけない突風が、吹き起ったのである。
 夫人は云いつづけた。
「第一、貴女が私の家にお客に来ている若い男の人と、すぐ馴々しくなって、散歩に出たり……また最初ご注意したと思いますが、貴女は家庭教師として、来て頂いているんですから――決して私の家の親類でも家族でもないんですから、子供達とあまり親しくして頂いてはこまるんです。子供達が貴女を女中のように、使い廻すようになったらおしまいですからね。子供に本を読んでやるなどということは、女中のすることですからね。」と、一気に云うと、綾子夫人はいかに積もる忿懣《ふんまん》の情に堪えないと云うように、椅子の背に身体をもたせて、絹よりもなめらかな麻のハンカチーフを両手の中でもみしだいた。
 新子は、女性としての悪徳である、嫉妬心、高慢、わがまま、邪推というようないやな物ばかりを、つつしみもなく、さらけ出す夫人に対して、思わず冷笑が浮び上るのを、ジッと噛みしめながら、椅子から腰を浮かせると、一歩退いて、ハッキリと、
「私の致しました一々のことが、そんなにも奥さまのお気に召さないとすると、致し方ございませんから、おひまを頂きたいと思いますけれど……」と、云った。
 新子が、充分謝りもしないで、すぐ反抗的に出た態度が、グッと夫人の神経を、いらだたせたらしく……。
「私は、貴女にそんなことを云わせようとして、お呼びしたわけじゃないんですわ。ただ、お年若な貴女に、ご注意をしたかったまでなんですの……」と、わざと少し声をやわらげて云った。夫人の趣意は、新子を思うさま、やっつけることであり、新子が、今までの家庭教師に比して、ずっと秀れていることを、心の内では認めているだけに、これを機会に追い出そうという肚《はら》ではなかった。
 しかし、もう新子の心は、定まっていた。
「ご好意はありがとうございます。でも、この先お邪魔致しておりましても、奥さまのご希望どおりになれますかどうですか!」
 綾子夫人は、新子の最後の言葉を聞くと、サッと顔色を変えて、肘掛椅子から立ち上ると、
「では、どうぞご自由に。」と切口上だった。

        六

 新子が出て行くと、夫人は左右の手の中指と母指《おやゆび》とを、タッキタッキと交互に鳴らしながら、姿見の
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