め三十人ばかり討死した。剣では、どうにも仕方がなかったのであろう。
数年来新選組は、京洛の地に於て、薩長の志士と睨《にら》み合っていたが、その清算が今度の戦争で行われたわけである。
その後、江戸に来ていた近藤勇に、依田《よだ》学海が「伏見の戦争はどうだった?」と訊いたところ、彼は傍《そば》の土方歳三を顧みて「此の男に訊いてくれ」と云った。土方が、「これからの戦争は、刀や槍では役に立たぬ。鉄砲には敵《かな》わない」と、苦笑しながら答えたのは、有名な話である。
翌四日にも、幕軍は敗勢を返さんとして戦ったが、此日仁和寺宮|嘉彰《よしあき》親王が、金甲馬に跨《またが》り、前駆に錦旗を飜して、陣頭に進まれたので、絶えて久しき錦の御旗を仰いだわけで、官賊の別が判然としたので、薩長の軍は意気軒昂となり、幕軍は意気沮喪して、いよいよ敗勢の著しいものがあった。
五日には、淀城附近で会津の槍隊が奮戦して、敵の隊長石川|厚狭介《あつさのすけ》などを斃したが、淀城の城主稲葉家は、例の春日の局の血縁で、幕府には恩顧深き家柄であるに拘らず、朝廷に帰順の意を表して、幕軍が淀城に拠るを許さず、また幕府のため
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