来ると云うので、城壁に銃眼を穿《うが》ち始めると云うさわぎである。
慶喜は、このまま滞京していてはいかなる事変が突発するかも知れないと思ったらしく、激昂する麾下を慰撫しながら、閣老参政及び会桑二藩士を率いて、大阪へ下ったのである。
此の下阪に対し朝廷側では大阪の要地を占め、軍艦を以て海路を断ち薩長を苦しめるためだろうと疑うものもあり、一大決戦の避くべからざるを力説するものがあり、大阪城中に於ては、会桑二藩の激昂なお止まず、幕府に対する苛酷の処置は岩倉卿を初め、薩長二藩が至上の御幼少なるに乗じて私意を逞しゅうするものであるから、兵力に依って、君側の奸《かん》を除く外ないと切言する。
形勢|暗澹《あんたん》たるを憂いた尾、越、土の三侯は、慶喜が大阪にいては、いよいよ朝幕の間が疎隔するばかりであるから、再度おだやかに上京したらどうかと、勧説《かんぜい》したが、幕府側の識者は、今おだやかに上京するなど、最も不利である。上京するなら君側の奸を除く意味で、兵力を率いて、上京するに如《し》かずと云う。その賛成者がだんだん多くなって行く。
その時、江戸では、薩摩系の浪士が、乱暴を働いて、西丸に
前へ
次へ
全13ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング