名を傷つけないで退く事が出来るが、あまりに武田の武力を自負している勝頼は跡部|大炊助勝資《おおいのすけかつすけ》の言を聴いて許さない。非戦論者達は、では長篠城を抜いて勝頼を入れ、一門の武将は後陣となり、我等三名は川を越えて対陣し、持久の策を採らば、我軍の兵糧に心配ないのに対して、敵軍は事を欠いて自ら退陣するであろう、と云った。跡部等は、何で信長ほどの者が引返そうや、先方から攻め来る時は如何、と反対するので、馬場等はその時は止むを得ない、一戦するまでである、と答えた。跡部等は嘲けって、その期に及んで戦うも、今戦うも同じである、とやり返した。勝頼、今は戦うまでである、御旗、無楯《たてなし》に誓って戦法を変えじ、と云ったので、軍議は決定して仕舞った。旗とは義光以来相伝の白旗、無楯とは同じく源家重代の鎧《よろい》八領のうちの一つ、共に武田家の重宝であって、一度、これに誓う時は、何事も変ずる事が出来ない掟《おきて》であったのである。かくて信玄以来の智勇の武将等の諫言《かんげん》も、ついに用いられず、勝頼の自負と、跡部等の不明は、戦略を誤り、兵数兵器の相違の上に、更に戦略を誤ったのである。勝頼は決
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