った。惣蔵、兄右衛門尉の身を気づかって、馬を返すこと二度に及んだが、その度に勝頼も轡を返した程であった。勝頼の後三四町の処を、武田左馬之助信豊三四十騎をもって殿軍して居た。勝頼ふり返って、信豊の様子を眺めて居たが、伝右衛門を顧みて曰く、「我、信玄の時御先を馳《か》けたるによって、当家重大の紺地泥《こんじでい》の母衣《ほろ》に四郎勝頼と記したのを指した。当主となった後は左馬助に譲ったが、今見ると指して居ない。若し敵の手に渡る様なことがあれば勝頼末代までの恥である。身命を棄つるともこれを棄てては引く事は出来ない」そこで伝右衛門、左馬助の許に馳せて聞くと、「戦い余りに激しかったので串は捨て、母衣は家老の青木尾張守に持たせて置いた」と答えて尾張の首に巻き附けたのを解いて渡した。勝頼上帯に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んで後《のち》進もうとすると馬が疲労し尽して動かない。笠井肥後守この体を見て馳せ来《きた》るや、馬から飛び下り、「この馬に召さるべし」と云う。勝頼「汝馬から離れれば必ず討死することになるぞ」と云うと、恩義の故に命は軽い、忰をどうぞ御引立下さ
前へ 次へ
全26ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング