相手の草摺《くさずり》に取付いて、諸共に川の中に引摺り込んだ。相手が上にのし掛ったのを、又兵衛素早く腰刀を抜いて、二刀まで刺して刎返《はねかえ》したので、流石《さすが》の剛の者も参って仕舞った。武田の弓隊長|弓削《ゆげ》某と云う者だと伝える。織田徳川勢の追撃急な上に、勝頼主従の退却も、しかも滝川に橋が沢山ないのであるから頗《すこぶ》る危かった。余り周章《あわ》てて居るので、相伝の旗を棄てたままにした。本多忠勝の士原田矢之助これを分捕った。堀金平勝忠、武田勢を追いながら、「旗を棄てて逃げるとは、それで甲州武士か」と嘲笑をあびせると、武田の旗奉行振り返って、「いやその旗は旧《ふる》くなったものだから棄てたので、かけ代え此処に在り」と云って新しい大文字の旗を掲げると逃げ出した。堀「尤も千万な申分である。馬場、山県、内藤等の老将も旧物であるから棄殺ししたか」と云った。敗戦となると惨めなもので、どう云われても仕方がない。勝頼、猿橋の方を指して退いて居たが、従って居るのは初鹿野《はじかの》伝右衛門三十二歳、土屋右衛門尉弟惣蔵二十歳であった。惣蔵、容姿端麗にしてしかも剛気であったので、勝頼の寵愛深か
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