るから、その奮戦の程が察せられる。昌景の士志村又右衛門、昌景の馬の口を押えて、退軍して士気を新にすることを奨めた。そこで馬を返そうとすると、既に敵の重囲の中であるから、朱の前立《まえだて》を見て、音に聞えた山県ぞ、打洩すなと許り押し寄せて来る。広瀬郷左衛門、志村又右衛門等これを押え戦う暇に、昌景退こうとして、ふと柵に眼を放つと、この乱軍の中に悠々と破られた柵を修理して居る男がある。「柵の杭《くい》はかく打つもの、結び様はこの様にするもの」と云い乍《なが》ら立ち働いて居るのを見て、昌景、「彼奴《かやつ》は尋常の士ではない、打ち取れ」と馬上に突っ立つ処に、弾丸、鞍の前輪から後に射通した。采配を口に銜《くわ》え、両手で鞍の輪を押えて居たが、堪らず下に落ちた。徳川の兵|馳《はし》り寄って首を奪い、柵内に逃げもどろうとするのを志村追かけ突伏せてとり返す事を得た。昌景初め飯富源四郎と称したが、信玄その武功を賞して、武田家に由緒ある山県の名を与えたのであった。常々武将の心得を語るのに、「二度三度の首尾に心|驕《おご》る様ではならない。刀ですら錆びる。まして油断の心は大敵である。心驕ることなく、家臣の
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