とが出来ない。徳川の士、大久保七郎右衛門、同弟次右衛門、六千の兵をもって、竹広の柵の前一町計りの処に陣取って居るのを幸として、昌景一気に徳川勢の真中に突入ったので、敵味方の陣が反対になった。物凄い中央突破である。昌景即ち人数を二手に分け、大久保勢の柵内に逃げ帰るを防いだ。山県の士広瀬郷左衛門、白の幌張の指物をさし、小菅五郎兵衛赤のを指して、揚羽の蝶の指物した大久保七郎右衛門、金の釣鏡《つりかがみ》の指物の弟次右衛門と竹広表の柵の内外を馳せ合せて相戦う様は、華々しい光景であった。小菅は痛手を蒙《こうむ》って退いたが、広瀬は猶敵勢のなかを馳《か》け廻って、武者七騎を突伏せ、十三騎に手を負わしたと云うから大したものである。山県勢、大久保勢と押しつ押されつの激戦をくり返して居るうちに、弾丸で死するもの、六百に及んだ。昌景屈せず、柵を破れと下知して戦ったが、忽ちに復《また》二百余りは倒れ、疵《きず》つくものも三百を越えた。しかし手負の者も、三ヶ所以上負わなければ退かせない。昌景自身冑の吹返《ふきかえし》は打砕かれ、胸板、弦走《つるばしり》の辺を初めとして総て弾疵《たまきず》十七ヶ所に達したと伝え
前へ 次へ
全26ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング