めようとしたが時既に遅く、両軍敗退の最中であった。修理は原隼人佐、安中左近、武田逍遙軒と共に、一の柵を馬蹄に蹴散らしたが、信長勢は二の柵に入り込んで、鉄砲ばかりを撃って居る。修理大音あげて、「上方勢は鉄砲なくしては合戦が出来ないのか、柵を離れて武田の槍先受ける勇気がないのか、汚いぞ」と呼《よばわ》った。汚いとあっては、武士の不面目とばかり、滝川一益、羽柴秀吉、柵外に出たのはよかったが、苦もなく打破られて仕舞った。畔《あぜ》を渡り泥田を渉って三の柵に逃げ込んだ。一益の金の三団子をつけた馬印を、危く奪われると云う騒ぎである。しかし修理、隼人佐、左近等も下馬して奮戦して居るうちに弾丸の為に倒れた。修理の首は、徳川の士朝日奈弥太郎が、采配と共に奪いとった。信長の策戦功を奏して、馬場、内藤の部隊が悉く将棋倒しに会って居るのを見た。だが、いかなる勇将猛士も鉄砲には敵《かな》わないのだ。「鉄砲など卑怯だぞ!」と理窟を云って見ても、相手が鉄砲を止めないのだから仕方がない。武田軍の左翼山県三郎兵衛昌景は千五百騎を率いて、一旦豊川を渡り、柵をしてない南方から攻め入ろうとしたが、水深く岸も嶮しいので、渡るこ
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