う珍しい勇将であるが、或時若き士達に語って曰く、
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一、敵方より味方勇しく見ゆる日は先を争い働くべし。味方臆せる日は独《ひとり》進んで決死の戦いをすべし。
二、場数ある味方の士に親しみ手本とす。
三、敵の冑の吹返し俯《うつむ》き、指物動かずば剛敵、吹返し仰むき、指物動くは、弱敵なり。
四、槍の穂先上りたるは弱敵、下りたるは剛。
五、敵勢盛んなる時は支え、衰うを見て一拍子に突掛るべし。
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 と教えたと云う。
 中央の内藤修理の軍の働きも華々しいものであったが、結局は馬場信房の軍と同じ運命に陥らざるを得なかった。滝川左近将監四千余をもって佐久間の右手柳田に備えて居るのを、修理千五百を率いて押し寄せ、忽ちに一の柵を踏み破った。佐久間、滝川両軍の浮足を見て居た家康は、使をやって柵内に入り防禦すべく命じた。剛情|我儘《わがまま》の佐久間は怒って、「戦わずして崩れるのを、武田家では見崩《みくずれ》と称して大いに笑うものだ」と力み返った。家康これはいかんと云うので、自ら馬を飛して信長に事の次第を語った。信長直ちに使をやって誡《いまし》
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