内の城主竹中|采女正重次《うぬめのしょうしげつぐ》が、その家臣をして忠直卿の行状を録せしめて、幕席の執政たる土居大炊頭利勝に送った「忠直卿行状記」の一冊があるばかりである。その一節に、
「忠直卿当国|津守《つのかみ》に移らせ給うて後は、些《いささか》の荒々しきお振舞もなく安けく暮され申候。兼々《かねがね》仰せられ候には、六十七万石の家国を失いつる折は、悪夢より覚めたらんが如く、ただすがすがしゅうこそ思い候え。生々世々、国主大名などに再びとは生れまじきぞ、多勢の中に交じりながら、孤独地獄にも陥ちたらんが如く苦艱《くげん》を受くること屡々《しばしば》なりなど仰せられ、御改易のことについては、些の御後悔だに見えさせられず候。……徒然《つれづれ》の折には、村年寄僧侶などさえお手近く召し寄せられ、囲棋のお遊びなどあり、打ち興ぜさせたもう有様、殷《いん》の紂王《ちゅうおう》にも勝れる暴君よなど、噂せられたまいし面影更に見え給わず。ことに津守の浄建寺《じょうけんじ》の洸山老衲《こうざんろうのう》とは、いと入懇《じっこん》に渡らせられ、老衲が、『六十七万石も持たせたまえば、誰も紂王の真似などもいたしたくなるものぞ。殿の悪しきに非ず』など、聞え上げけるに、お怒りのようもなく笑わせ給う。末には百姓町人の賤しきをさえお目通りに引き給い、無礼《なめげ》に飾なく申し上ぐることを、いと興がらせ給えり。御身はよろず、お慎み深く、近侍の者を憫み、領民を愛撫したもう有様、六十七万石の家国を失いたる無法人とも見えずと人々|不審《いぶか》しく思うこと今に止まず候」と、あった。
底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:湯地光弘
1999年11月4日公開
2010年1月7日修正
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