か》や、毛利|豊前守《ぶぜんのかみ》などが、最後の一戦を待っているばかりであった。
 将軍秀忠は、この日|寅《とら》の刻に出馬した。松平|筑前守利常《ちくぜんのかみとしつね》、加藤|左馬助嘉明《さまのすけよしあき》、 黒田|甲斐守長政《かいのかみながまさ》を第一の先手として旗を岡山の方へと進めた。
 家康は卯《う》の刻、輿《こし》にて進発した。藤堂高虎《とうどうたかとら》が来合わせて、
「今日は御具足を召さるべきに」というと、家康は例のわるがしこそうな微笑を洩しながら、
「大坂の小伜を討つに、具足は不用じゃわ」といって、白袷《しろあわせ》に茶色の羽織を着、下括《しもくく》りの袴《はかま》を穿いて手には払子《ほっす》を持って絶えず群がってくる飛蠅《とびはえ》を払っていた。内藤|掃部頭正成《かもんのかみまさなり》、植村|出羽守家政《でわのかみいえまさ》、板倉|内膳正重正《ないぜんのしょうしげまさ》ら近臣三十人ばかりが輿に従って進んだ。
 本多|佐渡守正純《さどのかみまさずみ》は、家康と寸も違わぬ服装で、山輿に乗って家康の後に、すぐ引き添うた。
 見ると、岡山口から天王寺口にかけて、十五万に
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