兵にも、そう伝えて覚悟いたさせよ」と叫んだ忠直卿は、膝に置いていた両手をぶるぶると震わせたかと思うと、どうにも堪らないように、小姓の持っていた長光《ながみつ》の佩刀《はいとう》を抜き放って、家老たちの面前へ突きつけながら、
「見い! この長光で秀頼《ひでより》公のお首《しるし》をいただいて、お祖父様の顔に突きつけてみせるぞ」と、いうかと思うと、その太刀を二、三度、座りながら打ち振った。まだ二十を出たばかりの忠直卿は、時々こうした狂的に近い発作にとらわれるのであった。
家老たちも、御父君秀康卿以来の癇癪《かんしゃく》を知っているために、ただ疾風《はやて》の過ぎるのを待つように耳を塞いで突伏《つっぷ》しているばかりであった。
元和《げんな》元年五月七日の朝は、数日来の陰天名残りなく晴れて、天色ことのほか和清《わせい》であった。
大坂の落城は、もう時間の問題であった。後藤又兵衛、木村|長門《ながと》、薄田隼人生《すすきだはいとのしょう》ら[#「隼人生ら」はママ]、名ある大将は、六日の戦いに多くは覚悟の討死を遂げてしまって、ただ真田|左衛門《さえもん》や長曾我部盛親《ちょうそがべもりち
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