から一際鋭角を作って、大坂城の中へ楔《くさび》のごとく食い入って行くのを見ると、他愛もない児童のように鞍壺《くらつぼ》に躍り上って欣《よろこ》んだ。
 先手の者が馳せ帰って、
「青木新兵衛大坂城の一番乗り仕って候」と注進に及ぶと、忠直卿は相好を崩されながら、
「新兵衛の武功第一じゃ――五千石の加増じゃと早々伝えよ」と、勇み立とうとする乗馬を、乗り静めながら狂気のごとくに叫んだ。
 武将として何という光栄であろう。寄手をあれほどに駆け悩ました左衛門尉の首を挙ぐるさえあるに、諸家の軍勢に先だって一番乗りの大功をわが軍中に収むるとは、何という光栄であろうと、忠直卿は思った。
 忠直卿は家臣らの奇跡のような働きを思うと、それがすべて自分の力、自分の意志の反映であるように思われた。昨日祖父の家康によって彼の自尊心に蒙らされた傷が、拭い去られたごとく消失したばかりでなく、忠直卿の自尊心は前よりも、数倍の強さと激しさを加えた。
 大坂城の寄手に加わっている百に近い大名のうち、功名自分に及ぶ者は一人もないと思うと、忠直卿は自分の身体が輝くかと思うばかりに、豊満な心持になっていた。が、それも決して無理ではない。驍勇《ぎょうゆう》無双の秀康卿の子と生れ、徳川の家には嫡々の自分であると思うと、今日の武勲のごときは当然過ぎるほど当然のように思われて、忠直卿は、得々たる感情が心のうちに洶湧《きょうゆう》するのを制しかねた。
「お祖父様は、この忠直を見損のうておわしたのじゃ。御本陣に見参してなんと仰せられるかきこう」と、思いつくと、忠直卿は岡山口へ本陣を進めていた家康の膝下《しっか》に急いだのである。
 家康は牀几《しょうぎ》に倚って諸大名の祝儀を受けていたが、忠直卿が着到すると、わざわざ牀几を離れ、手を取って引き寄せながら、
「天晴《あっぱれ》仕出かした。今日の一番功ありてこそ誠にわが孫じゃぞ。御身の武勇|唐《もろこし》の樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]《はんかい》にも右《みぎ》わ勝《まさ》りに見ゆるぞ。まことに日本樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]とは御身のことじゃ」と、向う様に褒め立てた。
 一本気な忠直卿は、こう褒められると涙が出るほど嬉しかった。彼は同じ人から昨日叱責された恨みなどは、もう微塵も残っていなかった。
 彼はその夜、自分の陣所へ帰って来ると、家臣をあ
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