前少将忠直卿は、かかる布令を聞かばこそ、家老|吉田修理《よしだしゅり》に真っ先かけさせ、国老の両本多をはじめ、三万に近い大軍を、十六段に分け、加賀勢の備えたる真ん中を駆け抜け、加賀勢の怒り止むるに答えず、無二無三に天王寺の方、茶臼山の前までおし詰め、ここの先手本多|出雲守忠朝《いずものかみただとも》の備えより少し左に、鶴翼《かくよく》に陣を張った。
 この時初めて、将軍から、
「城兵は寄手《よせて》を引き寄せて、夜を待つように見え候、早く戦いを令すべし」と、いう軍令が諸陣の間にふれ渡された。
 が、忠直卿は軍令の出ずるのを待ってはいなかった。本多忠朝の先手が、二、三発敵にさぐり[#「さぐり」に傍点]の鉄砲を放つと、等しく越前勢たちまち七、八百挺の鉄砲を一度に打ち掛け、立ち籠めた煙の中を潜って、十六段の軍勢林の動くがごとく、一同茶臼山に打ってかかった。
 青屋口から茶臼山にかけての軍勢は、真田|左衛門尉幸村《さえもんのじょうゆきむら》父子、少し南に伊木七郎|右衛門遠雄《えもんとおお》、渡辺|内蔵助糺《くらのすけただす》、大谷大学|吉胤《よしたね》らが固めて、総勢六千をわずかに出ているに過ぎなかった。
 ことに越前勢は目に余る大軍なり、大将忠直卿は今日を必死の覚悟と見えて、馬上に軍配を捨てて大身の槍をしごきながら、家臣の止むるをきかず、先へ先へと馬を進められた。
 大将がこの有様であるから、軍兵ことごとく奮い立って、火水になれと戦ったから、越前勢の向うところ、敵勢草木のごとく靡《なび》き伏して、本多|伊予守忠昌《いよのかみただまさ》が、城中にて撃剣の名を得たる念流左太夫《ねんりゅうさだゆう》を討ち取ったをはじめとし、青木新兵衛、乙部《おとべ》九郎兵衛、萩田|主馬《しゅめ》、豊島主膳《とよしましゅぜん》等、功名する者|数多《あまた》にて、茶臼山より庚申堂《こうしんどう》に備えたる真田勢を一気に斬り崩し、左衛門尉幸村をば西尾|仁左衛門《にざえもん》討ち取り、御宿越前《みしゅくえちぜん》をば野本|右近《うこん》討ち取り、逃ぐる城兵の後を慕うて、仙波口より黒門へ押入り旗を立て、城内所々に火を放った。
 敵の首を取る三千六百五十二級、この日の功名忠直卿の右に出ずるはなかった。
 忠直卿は茶臼山に駒を立てていたが、越前勢の旗差物が潮のように濠を塞ぎ、曲輪《くるわ》に溢れ、寄手の軍勢
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