外科医のワトソンであった。彼は、蘭語を解する上に東洋通であった。
 寅二郎は、生来初めての鵝筆《がひつ》を持って、メリケンヘ行きたいという志望を漢文で書いた。ウィリアムスは、早口の日本語でそれは何国の字ぞときいた。
 寅二郎が、日本字なりと答えると、ウィリアムスは笑って、それは唐土《もろこし》の字ではないかといった。ウィリアムスの明晰《めいせき》な日本語と日本についての知識とが、寅二郎たちを欣《よろこ》ばした。二人は初めて慈母の手を探り得たような心持になって、その心の内の火のような望みを述べ始めた。

          三

 間もなく、ポウワタン船《ふね》の提督の船室で、二人の日本青年の希望を容れるかどうかについて、会議が開かれた。
 ペリー提督とその参謀と、ポウワタン船の艦長と副艦長のゲビスと、外科医のワトソンと、通辞のウィリアムスが、それに加わった。
 十一時を過ぎていたが、事件が異常であるために、誰も彼も興奮していた。ことに、副艦長のゲビスは、二人の日本青年を見て、その熱誠に動かされただけに、誰よりも興奮していた。
「じゃ、我々はこの青年たちの請《こい》を斥《しりぞ》けた方が、無難だというのですか」
 会議の傾向が、拒絶に傾いてくると、ゲビスは躍起になっていた。
「我々は、こんな些細《ささい》なことで、日本政府と事端《じたん》を構えるのはよくないことだと思う」
 艦長は、さっきから拒絶を主張していた。ゲビスは、艦長の言葉を駁《ばく》そうとして、思わず自分の席に立ち上った。
「が、しかし私は、たとい日本政府との間に、少しの面倒があっても、あの青年たちの請《こい》を容れてやることが、どんなに正しいことであり、いいことであるか分からないと思う。私は、先日あの青年たちが、我々の士官の一人に渡したという手紙の翻訳《ほんやく》を読んで、彼らの聡明《クリア》な高尚《ノーブル》な人格にどれだけ感心したか分からない。彼らの熱烈な精神《ソウル》は私の心を打った。私は、有色人種の心のうちに、こんな立派な魂が宿っているとは知らなかった。その上、翻訳で読んでも、その原文が、どんなに明勁《めいけい》であって、理路が整然としているかが分かる。その頭脳の明晰さは、私にとって、一つの驚異であった。こうした聡明な青年をわが国へ連れて行って、わが文化に接せしめるということだけでも、私の心は躍り上るような歓喜を感ずる。私は提督閣下が、この青年の請に耳をかさんことを切望するものです」
 まだ三十を越して間もないゲビスは、若い瞳を輝かし、卓を軽く叩きながら叫んだ。
「あなたは、あまりに興奮し過ぎる。あなたはもっと現実を見なければいけない」顎髭《あごひげ》を蓄《たくわ》えた五十近い艦長は、若者を宥《なだ》めるようにいった。「あなたは、物事を表面だけで解釈してはならない。彼らの申し分はよい。我々の同情を得るに十分だ。が、しかし彼らが、申し分以外の卑劣な動機で動いているかも知れないということを、我々は一応考えてみる必要がある。日本人との短日月の交渉によっても、彼らがどんなに怜悧《れいり》であるかということがわかった。しかも悪賢《わるがしこ》いといってもよいほど、怜悧であることがわかった。私は、先日の手紙を見た時から、こんな疑いを起した。あの青年二人は、日本政府の間者ではないかと考えた。あんな立派な文章を書く日本青年が、日本政府によって重用されていないわけはないと思う。彼らは日本政府の役人に違いない。見ずぼらしい青年に扮《ふん》して、我々を試さんとして来たのである。日本の法律は、日本人の海外へ渡航するのを禁じている。我々は、そのことを横浜に停泊していた頃、林大学頭《はやしだいがくのかみ》からきいて知っている。従って、我々はこの法律を順守して、日本人の海外渡航を扶助すべきではない。思うに、かの二人の青年は、日本政府に忠実であるかどうかを試さんとして、送られたる間者である。もし、我々が彼らの志望を許したならば、ただちに日本政府から抗議が来るだろう。そして、我々は、日本政府に不忠実なるものとして、折角平和のうちに得た通商の許可も取り消されないとも限らない」
「いや、貴下は疑い過ぎる」副艦長のゲビスは、毅然《きぜん》として屈しなかった。「貴下は、あの青年たちを見ないから、そんなことをいわれるのだ。彼の青年たちの目は、海外の知識を得ようとする熱心さで、血のように燃えている。それは、決して間者の瞳ではない。彼らの衣類は濡れ、彼らの手指には、無数の水泡を生じている。それは彼らが、潜《ひそ》かに本船に近づかんとして、どんな犠牲を払ったかを語っている。もしも、彼らが日本政府の間者であったならば、彼らはもっと容易に我々のところへ来たに違いない。その上、彼らは本船へ乗り移るときに、彼らにと
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