になった人で、仏教の方でも有名であり、宇多天皇の皇子の式部卿《しきぶきょう》の宮の御子《みこ》である。この人は、広沢に住んでいたが、同時に仁和寺《にんなじ》の別当をも兼ねていた。別当というのは、検非違使《けびいし》の長官をも云うのだが、神社仏寺の事務総長をも云うのである。ある時仁和寺が修理工事を始めていた頃の話である。
ある夕方、寛朝僧正は、もう工事がどの位進んだか見たくなって、一人で高足駄《たかあしだ》をはき、杖《つえ》をついて、工事の現場を視察していた。現場には、足場のために、高いやぐらが組んである。その柱をくぐりながら見ていると、烏帽子《えぼし》を引き垂れて着た男が、つかつかと寄って、僧正の前に立った。見ると半ばかくすようにではあるが、刀をぬいて、それを逆手に持っている。
僧正、これを見て(何の用ぞ)ときくと、男は片膝《かたひざ》をついて、(自分は御存じないものである。あまりに寒さに堪《た》えないので、お召《め》しになっている衣物を一つ二つ賜《たまわ》りたいのである)と、云ったが、今にも飛びかかりそうである。
僧正は(それはわけもないことだが、なぜ素直に頼まないのか。そのや
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