、近頃《ちかごろ》は同じ遊女仲間の一人に、心をうつして、しげしげ通っているという噂《うわさ》が、お兼の耳に伝わって来た。お兼は、安からず、思っていた。ある晩、ひさしぶりに法師がやって来た。いっしょに物語りしている間、お兼は何もいわなかった。いよいよ床《とこ》に入ってから、お兼はその弱腰《よわごし》を両足でぐっとはさんだ。法師は、初めたわむれだと思って「はなせはなせ」といったが、お兼はいよいよ力をいれたので、法師は真赤になってこらえていたが、やがて蒼白《そうはく》になってしまった。すると、お兼は「おのれ、法師め、人を馬鹿《ばか》にして、相手もあろうに同じ遊女仲間の女に手出しをする。少し思い知らしてやるのだ」といって、一しめしめたところ、法師は泡《あわ》を吹《ふ》いて気絶した。それで、やっと足をはずしたが、法師はくたくたとなったので、水を吹っかけなどして、やっと蘇生《そせい》させた。
その頃、東国から大番(京都守衛の役)のために上京する武士達が、日高い頃に、かいづに泊《とま》った。そして、乗って来た馬どもの脚《あし》を、湖水で冷していた。すると、その中のかんの強い馬が一頭物に驚いたと見え、口取の男をふり切って、走り出した。
たくさんの男が、跡《あと》を追いかけたがどうにも手におえない。中には、引きづなに取りすがる者もいたが皆《みな》引き放されてしまう。ちょうど、そこへお兼が通りかかった。彼女は高いあしだをはいていたが、傍《かたわら》をかけ通ろうとする馬の引きづなのはずれを、あしだでむずとふまえた。すると馬が勢《いきおい》をそがれてそのまま止まった。人々はそれを見てあれよあれよと目をおどろかした。
さすがにあしだは砂地に、足首のところまで、埋《う》まっていた。これ以来、お兼の大力が世間に知られたのである。常に、五、六人位の男が集まっても、私を自由に出来ませんよ、といった。五つの指ごとに、弓を一張ずつはらせたことがある。弓は、二人張三人張などいうから、指一本でもたいした力である。
四
昔、美濃国《みののくに》、小川の市《いち》に力強き女があった。身体《からだ》も人並はずれて大きく百人力といわれていた。仇名《あだな》を美濃狐《みのぎつね》といった。四代目の先祖が、狐と結婚したと云《い》うことであった。狐と大力とは別に関係はないわけだが、狐の兇悪《きょうあく》な性質を受けたと見え、現在の闇市《やみいち》の親分のように、商人をいじめては、いろいろな品物を奪《うば》いとっていた。ところが、同じ時に尾張国《おわりのくに》片輪の里に力強き女がいた。この女は、きわめて小柄《こがら》の女であった。大力の聞え高い元興寺の道場法師の孫に当っていた。この尾張の女が、美濃狐のことを聞いて、一度試してやろうと云うので、蛤《はまぐり》と熊葛《くまつづら》で作ったねり皮とを船に積んで、小川の市へやって来た。こういう他国者の新顔を、痛めつけることは昔も今も暴力団的顔役の仕事である。美濃狐は、早速尾張の女の船へ行って、蛤を差し押えて、「お前は、一体、どこの者だ。誰にことわってここで商売をするのか」といった。尾張の女は、だまっていたが、四度目に(どこから来たか大きなお世話だ)と、返事した。すると、美濃狐が怒《おこ》って、尾張の女を打とうと手を出すと、尾張の女はその手を捕《とら》えて、熊葛のねり皮で打った。すると、あまりに力が強いので、そのねり皮に肉がくっついて来た。返すがえす打つと、その度に肉がついた。さすがの美濃狐も、音《ね》を上げて謝った。すると、尾張の女は、以後商人達を悩《なや》ますなと、いましめてから許してやった。その後美濃狐は、小川の市に来なくなったので、市人《いちびと》達は皆《みな》欣《よろこ》び合って、平かな交易がつづいた。
この尾張の女は、そうした大力にも似合わず、その姿形は、ねり糸のようにしなやかであった。そして、その郡の大領(郡長)の奥《おく》さんであった。あるとき、主人の郡長のために、麻《あさ》の布を織って、それを着物に仕立てて着せた。それは現在の上布のようなものでしなやかで、すこぶる品のよい着物であった。ところがこの郡長がそれを着て、国司の庁へ行くと、国司が、それを見て、ほしくなったと見え、「その着物をわしによこせ。お前が着るのにはもったいない」と、云って取り上げたまま返さない。
五
郡長が家に帰ると、今朝着せてやった着物を着ていない。妻である尾張の女がそのわけを訊《たず》ねると国司にまき上げられたと云う。妻は、あなたはあの着物を心から惜《お》しいと思うかと訊《き》いた。すると、良人《おっと》は極めて惜しいと思うと答えた。すると、尾張の女は翌日国府へ出かけて行って、国司に面会を求めて返してくれと云っ
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング