子《ひょうし》ぬけがして、妹の家の方へ引き返して来た。先刻、盗人は村人達に追われて逃げ損い、光遠の妹の家に走り込んで、(この女房を人質に取った。寄り近づく者あらば、この女房をさし殺すぞ)と、村人達に宣言したのである。それでその中の一人が、あわてて兄さんの家へ知らせに行ったのであった。
兄が相手にしないので、その村人は一体どんな容子《ようす》かと家の中をのぞいて見た。すると、盗人は光遠の妹を背後から両足で抱《だ》いて、その胸に逆手《さかて》に持った短刀をさしあてている。光遠の妹は、恥《はずか》しいと見えて、袖《そで》で顔をかくしているが、だんだん退屈して来たと見え板の間に荒づくりの矢竹が二、三十ちらばってるのをいじっていたが、それを板の間におしつけると一本ずつわらをにじるように、にじりつぶしている。のぞいていた村人が、びっくりしたが、盗人もそれに気が付いたと見え、顔色が急に青ざめたと見ると、たちまち人質を放して逃げ出した。いったん怖気《おじけ》づいただけに、たちまち村人に捕えられてしまった。その男を村人達は、光遠の家へ連れて行って殺しましょうかと云うと、光遠は笑って(もし妹がその男の太刀を持つ手を逆にねじあげたら、その男の肩《かた》の骨はたちまち砕《くだ》けただろう。危い目に逢《あ》っていたのは、妹でなくてその男だったのだ。殺すわけはないではないか)と、云って逃がしてやった。そして、言葉をつづけた。(妹は、わしより二倍は強い。男に生れたら、日本中に相手はないのだが……)と、嘆息《たんそく》した。
七
女大力物語のついでに、男の方も二、三人書いておく。叡山《えいざん》の西塔《さいとう》に実因|僧都《そうず》という人がいたが、この人が無類の大力であった。ある日、宮中の御加持《ごかじ》に行って、夜更《よふ》けて退出すると、何かの手違いで、供の者が一人もいない。仕方なく衛門の陣《じん》を出ようとすると、軽装した男が一人寄って来て(お供がいないのですか。私が負って差しあげましょう)と云う。それはありがたいと、云って負われると、大宮二条の辻《つじ》まで行って、(ここで降りてくれ)と云う。僧都が(いや、わしの行く先は、ここではない)と、云うと、その男が声を荒らげて(命は惜《お》しくないのか。その衣《きぬ》を脱《ぬ》いで、どこへでも勝手に行け)と、いった。すると
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