襯衣《シャツ》や、日用品の殆《ほとん》ど凡《すべ》てを、近藤夫人の厚意に依って、不自由しなかったのである。
学校を出てからも、譲吉は近藤夫人の庇護《ひご》なしには、何《ど》うともする事が出来なかった。
「富井さんも愈々《いよいよ》口が定《き》まったのなら、孰《いず》れ洋服が入《い》るでしょうから、三越へそう云ってお調《こし》らえなさい。少しいいのを調《こさ》えた方が結局は得ですから。」と譲吉が、入社が定まった事を報告に行くと、夫人は祝辞を述べてから、直《す》ぐこう云い出した。譲吉は夫人に金を借りてでも、洋服を新調したい積《つも》りであったから、夫人のこうした好意は、骨身に浸みる程、有り難く感じたのである。無論、近藤夫人の好意は、洋服|丈《だけ》には止まらなかった。
「色々の身の廻りの物が入るでしょうから。」と云いながら、夫人は新しい十円札を三枚、譲吉の前に差し出した。
譲吉は、過去に於て幾度《いくたび》、夫人の華奢《きゃしゃ》な手から、こうした贈与を受けたかも知れない。その度に譲吉は、夫人から受くる恩恵に狎《な》れて、純な感謝の念が、一回毎に、薄れて行かぬよう、絶えず自分の心を戒し
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