が集合して何やら不穏の企みをしてゐる」
 京都市中見廻役として、治安の責任の一半を担つてゐる新撰組は、取り敢へず、黒谷なる京都守護職松平肥後守邸に、応急の措置を求むる為速報した。
 守護職は所司代、松平越中守と協力して、遂に会津、桑名、一橋、彦根、加賀の兵を始め、町奉行、東西与力、同心を動員して、祇園、木屋町、三條通り、その他要所々々を戒厳して、その人員無慮三千余人と称された。空前の警戒陣であつた。
 斯くて、会津藩と新撰組は、午後八時を期して、祇園会所に集合する筈であつたが、会津側が人数の繰出しに時間がかゝり、午後十時近くなるのに、約束の場所に参着しない。
 血気の近藤勇は、一刻を争ふ場合と考へ、独力新撰組を率ゐて、検挙に向ふことになつた。
 隊員三十名を二分して、近藤勇自ら一隊を随へて、池田屋へ、他の一隊は、土方歳三統率して、四国屋へ向つた。
 恰度、祇園祭りの前の夜で、風はあつたが、何となく蒸す夜であつた。
 その時、池田屋では、長州の吉田|稔麿《としまろ》、肥後の宮部|鼎蔵《ていざう》等総勢二十余名が集合し、
「今夜は壬生に押寄せて、古高俊太郎を奪ひ還さう」
 と、云ふので酒を
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