襲つて斬つた。
 芹沢は水戸の郷士で、本名を下村継次と云ひ、水戸天狗党の生き残りである。天狗党に居た時は、潮来《いたこ》の宿で、気に食はぬ事があつて、部下三名を並べて首を斬つたり、鹿島神宮へ参詣して、拝殿の太鼓が大き過ぎて目障りだと云つて、これを鉄扇で叩き破つたと云ふ程の乱暴者であつた。
 芹沢亡き後の新撰組は、当然近藤、土方の天下で、幕府の後押しもあり、京都守護職、松平|容保《かたもり》の信頼もあり、隊の勢は日ならずして隆々として揚り、京洛に劃策する勤皇の志士にとつて、陰然たる一大敵国を成すに到つた。

   近藤勇

 新撰組隊長、近藤勇と云へば、剣劇、大衆小説に幾百回となく描き尽され、幕末物のヒーローであるが、その実質としては、暴力団の団長以上には評価されない。剣術のよく出来る反動的武士といつた処である。極く贔屓目《ひいきめ》に見ても、三代相恩の旗本八万騎のだらしのないのに反して、三多摩の土豪出身でありながら、幕府の為に死力を竭《つく》したのは偉い、と云ふ評がせい/″\である。
 しかし、此等の観方は、近藤その人の全貌を尽してゐないし、彼の為にも気の毒である。
 近藤の刑死は、慶
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