、虎徹は元込銃に歯の立つ道理はないのである。
 江戸に逃げ帰つた、近藤は、その後色々と画策したが、一度落目になると、する事なす事後手となつて、甲州勝沼の戦に敗れ、下総流山で遂に官軍の手に捕へられた。
 この時、政敵である土佐藩の谷守部(干城)は、
「猾賊多年悪をなす。有志の徒を殺害すること|不[#レ]勝[#レ]数《かぞふるにたへず》、一旦命尽き縛に付く。其の様を見るに三尺児と雖《いへど》も猶《なほ》弁ずべきを、頑然首を差伸べて来る。古狸|巧《たくみ》に人を誑《たぶらか》し、其極終に昼出て児童の獲となること、古今の笑談なり。誠に名高き近藤勇、寸兵を労せず、縛に就くも、亦狐狸の数の尽くると一徹なり」と思ひ切つた酷評を下してゐる。いかに、近藤が官軍側から悪《にく》まれてゐたかゞ分るし、谷干城の器量の小さいかも知れる。
 人間も落目になれば、考へも愚劣になる。甲陽鎮撫隊で大名格にしてもらひ、故郷へ錦を飾つた積りの穉気振りなど、往年の近藤勇とは別人の観がある。然し、これも必ずしも近藤勇|丈《だけ》の欠点ではない。蓋《けだ》し、得意に、失意に、淡然たる人は、さうあるわけはないのだ。
 尤も、近藤勇
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