、倅周平は槍を斬折られ、下拙刀は、虎徹故にや、無事に御座候」
何れも新撰組切つての剣客揃ひである。僅か五人で斬込んだのであるから、その力戦振りも思ひやられる。
その中に、縄手から引返した土方歳三の一隊が加つて、こゝに稀代の大捕物陣が展開されたわけである。
「実に是迄、度々戦ひ候へ共、二合と戦ひ候者は、稀に覚え候。今度の敵、多数とは申しながらも孰れも万夫の勇士、誠に危き命助かり申候」
これが勇の欺かざる述懐である。
新撰組も克《よ》く力闘したが同時に勤皇諸有志が如何に勇戦したか、これで判る。
人を斬るのに、最も豊富な経験を持つ、近藤勇をして、この嘆声を発せしめたのであるから、殉難の志士も以て瞑すべしだ。公論は常に、敵側より発せられるものである。
殉難の諸士
飜つて、志士側の当夜の観察は何うか。当時長州藩、京都留守居役、乃美織江《のみおりえ》の手記によれば、形勢緊迫と共に、有志等に軽挙を戒めること痛切であつた。
桂小五郎、久坂義助など幕吏の追跡頻りなので、長藩としては彼等に帰国の命を下し、邸内の有志等にも外出を慎しませてゐた。
吉田|稔麿《としまろ》に対しても、市
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