飲みながら、夜の更けるのを待つてゐた。
 彼等は、粛々としてその身に迫る死の影を知らず、尚も三策の評議に余念がなかつた。三策とは即ち次の三つだ。
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○壬生屯所を囲み、焼討して新撰組を鏖殺《あうさつ》し、京都擾乱に乗じて、長州の兵を京都に入れる。
○成功の場合には、宮中を正論の公卿を以て改革する。
○京都一変の上は、中川宮を幽閉し奉り、一橋|慶喜《よしのぶ》を下坂せしめ、会津藩の官職を剥奪し、長州を京都の守護職に任ずる。
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   血河の乱闘

 近藤勇は玄関から、
「主人は居るか、御用改めであるぞ」
 と、堂々と声をかけて、上り込んだ。
 主人は直ぐに二階に向つて、
「皆様、来客調べて御座います」
 と、大きな声で叫んだが、もう遅い。
「何だ/\」
 同志でも来たのかと思つて、うつかり一番先に出て来た北副佶摩《きたぞへきちま》の頭を、勇の虎徹がずばりと割つた。
 火の出る様な乱闘が続いた。
 この事件に就ては、勇自身が近親に与へて書いた手紙に、詳しい。
「局中手勢の者ばかりにて、右徒党のもの、三條小橋縄手に二ヶ所|屯致《たむろいた》し居候処へ、二手に別れ、夜四つ時頃打入候処、一ヶ所は一人も居り申さず、一ヶ所は多数潜伏し居り、兼て覚悟の徒党故、手向ひ戦闘|一時《いつとき》余の間に御座候」
 局中とは新撰組のことだ。一時余りとは、今日では二時間余である。二時間余も入乱れて、戦つたのであるから、その激闘振りも察せられよう。
「打留七人、手疵|為[#レ]負《おはせる》者四人、召捕二人、右は局中の働《はたらき》に候。漸く事済み候跡へ、御守護職、御所司代の人数三千余人出張に相成り、夫より屯所へ|被[#二]打入[#一]《うちいられ》候処、会侯の手に四人召捕、一人打取る。桑侯手に一人召捕。
 翌六日昼九つ時(正午)人数引揚申候。前代|未曾有《みぞう》の大珍事に御座候」
 以上の通《とほり》、池田屋襲撃は、殆んど新撰組の独擅場《どくせんぢやう》で、彼等が得意になるのは当然だらう。
 近藤の家書は、以下続いてゐる。
「下拙《げせつ》僅かの人数引連れて、出口に固めさせ、打込候者は、拙者始め、沖田、永倉、藤堂、倅周平、右五人に御座候。
 一時余りの戦闘にて、永倉新八の刀は折れ、沖田総司、刀の帽子折れ、藤堂平助刀はさゝらの如く
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