中でウロウロして、二月七日に遠州中泉で次ぎのような非常時会議をやっている。
「二月七日辰刻、将軍家|渡[#二]御中泉[#一]《なかいずみにとぎよ》|先献[#二]御膳[#一]《まずおぜんをけんじ》|暫有[#下]於[#二]奥之間[#一]大御所御対面[#上]《しばらくおくのまにおいておおごしょもごたいめんあり》本多佐渡守|同上野介召[#二]御前[#一]《おなじくこうずけのすけをごぜんにめされ》|御密談移[#レ]刻《ごみつだんにときをうつす》」
 四月初旬には、多くの諸侯に、出征準備の内命を発している。
 四月四日には、家康、子義直の婚儀に列する為と云う口実で駿府を出発、十八日、二条城に入っている。

       塙直之戦死

 大阪方でも、戦備に忙しく、新規浪人を募集し、秀頼自ら巡視した。「茜《あかね》の吹貫《ふきぬき》二十本、金の切先の旗十本、千本|鑓《やり》、瓢箪の御馬印、太閤様御旗本の行列の如く……」と、『大阪御陣覚書』に出ている。
 だが、大阪方としては、城濠を失っているのであるから、城を捨てて東軍を迎え撃ち、あわよくば西将軍の首級を狙う外、勝算はないわけである。
 西軍の作戦とし
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