云って刀の下緒《さげお》のはしを切って呉れた。
昌幸と幸村は、信州へ引き返す途中沼田へ立ち寄ろうとした。沼田城は、信幸の居城で、信幸の妻たる例の本多忠勝の娘が、留守を守っていたが、昌幸が入城せんとすると曰く、既に父子|仇《あだ》となりて引き分れ候上は、たとい父にておわし候とも城に入れんこと思いも寄らずと云って、門を閉ざし女房共に武装させて、厩《うまや》にいた葦毛《あしげ》の馬を、玄関につながした。昌幸感心して、日本一と世に云える本多中務の娘なりけるよ。弓取の妻は、かくてこそあるべけれと云って、寄らずに上田へ帰った。本多平八郎忠勝は、徳川家随一の剛将である。小牧山の役《えき》、たった五百騎で、秀吉が数万の大軍を牽制して、秀吉を感嘆させた男である。蜻蛉《とんぼ》切り長槍を取って武功随一の男である。ある時、忠勝子息の忠朝と、居城桑名城の濠《ほり》に船を浮べ、子息忠朝に、櫂《かい》であの葦をないで見よと云った。忠朝も、強力《ごうりき》無双の若者であるが、櫂を取って葦を払うと、葦が折れた。忠勝見て、当世の若者は手ぬるし、我にかせと、自身櫂を持って横に払うと、葦が切れたと云う。そんな事が可能かど
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