地の名胡桃を北条氏が取ったと云う事から、秀吉が北条征伐を起してくれたのだから、昌幸は秀吉の意気に感じていたに違いない。
 その後、昌幸は秀吉に忠誠を表するため、幸村を人質に差し出している。だから、幸村は秀吉の身辺に在りて、相当好遇されたに違いない。

[#7字下げ]関ヶ原役の真田[#「関ヶ原役の真田」は中見出し]

 関ヶ原の時、真田父子三人家康に従って、会津へ向う途中、石田三成からの使者が来た。昌幸、信幸、幸村の兄弟に告げて、相談した。
 昌幸は、勿論大阪方に味方せんと云った。兄の信幸、内府は雄略百万の人に越えたる人なれば、討滅《うちほろぼ》さるべき人に非ず、徳川方に味方するに如《し》かずと云う。
 茲《ここ》で、物の本に依ると、信幸、幸村の二人が激論した。佐々木味津三君の大衆小説に、その激論の情景から始まっているのがあったと記憶する。
 信幸、我本多に親しければ石田に与《くみ》しがたしと云うと、幸村、女房の縁に引かれ父に弓引くようやあると云う。
 信幸、石田に与せば必ず敗けるべし、その時党与の人々必ず戮《りく》を受けん。我々父と弟との危きを助けて家の滅びざらんことを計るべしと。幸村
前へ 次へ
全31ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング