っておくと、前後が岡になっていて、その中間十町ばかりが低地であり、左右|田疇《でんちゅう》に連っている。
幸村の兵が、今しも、この岡を半ばまで押上げたと思うと、政宗の騎馬鉄砲八百挺が、一度に打立てた。
この騎馬鉄砲は、政宗御自慢のものである。
仙台といえば、聞えた名馬の産地。その駿足に、伊達家の士の二男三男の壮力の者を乗せ、馬上射撃を一斉に試みさせる。打立てられて敵の備の乱れた所を、煙の下より直ちに乗込んで、馬蹄に蹴散らすという、いかにも、東国の兵らしい荒々しき戦法である。
この猛撃にさすがの幸村の兵も弾丸に傷き、死する者も相当あった。
然し、幸村は「爰《ここ》を辛抱せよ。片足も引かば全く滅ぶべし」と、先鋒に馳来って下知した。一同、その辺りの松原を楯として、平伏《ひれふ》したまま、退く者はなかった。
始め、幸村は暑熱に兵の弱るのを恐れて、冑も附けさせず、鎗も持たせなかった。かくて、敵軍十町ばかりになるに及んで、使番を以て、「冑を着よ」と命じた。更に、二町ばかりになるに及んで、使番をして「鎗を取れ」と命じた。
これが、兵の心の上に非常な効果を招いた。敵前間近く冑の忍《しのび
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