定めたれ」と言って、床の間を指し「あれに見ゆる鹿の抱角《かかえづの》打ったる冑は真田家に伝えたる物とて、父安房守譲り与えて候、重ねての軍《いくさ》には必ず着して打死仕らん。見置きてたまわり候え」と云った。
それから、庭に出て、白河原毛《しろかわらげ》なる馬の逞しきに、六文銭を金もて摺《す》りたる鞍を置かせ、ゆらりと打跨り、五六度乗まわして、原に見せ、「此の次ぎは、城|壊《こわ》れたれば、平場《ひらば》の戦《いくさ》なるべし。われ天王寺表へ乗出し、この馬の息続かん程は、戦って討死せんと思うにつけ、一入《ひとしお》秘蔵のものに候」と言って、馬より下り、それから更らに酒宴を続け、夜半に至って、この旧友たちは、名残を惜しみつつ分れた。
果して、翌年、幸村は、この冑を被りこの馬に乗って、討死した。
また、この和睦の成った時、幸村の築いた真田丸も壊されることになった。
この破壊工事の奉行に、本多|正純《まさずみ》がやって来て、おのれの手で取壊そうとしたので、幸村大いに怒り抗議を申込んだ。
が、正純も中々引退らぬ。
両者が互いにいがみあっている由がやがて家康の耳に入った。すると、家康は「
前へ
次へ
全31ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング